優しさのループ

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優しさのループ

「川瀬由貴といいます。岸野くん、 今、特定の誰かと付き合ってないなら、 僕と付き合ってくれませんか」 大学に入って早々、 川瀬と名乗る男性に告白され、 試しに付き合うことにした。 僕にとって、初めての恋人。 クールビューティーな外見に冷たさを見て、 最初はどうなるかと思ったが、 関わってみたら心根はとても優しく、 献身的に尽くしてくれる川瀬に、 だんだん僕は絆されていった。 デートを繰り返して、2ヶ月。 このまま何となく付き合っていけるかも、 そう思っていた矢先、波風が立った。 「川瀬くんと付き合ってるってホント? 本気じゃないなら、僕に譲ってくれない?」 控えめな表現ながらも、 しっかりライバル宣言をしてきたのは、 同じ学部の同級生の佐橋雄大。 彼は川瀬と人気を二分する、 大学のアイドル的存在だった。 初めてまともに話したが、 川瀬とはまた違う 顔立ちのキレイさに圧倒され、 黙り込むしかできなかった。 とりあえず川瀬に、佐橋からライバル宣言を されたことは話しておこうと思った。 「ああ、知ってる。先週、告白されたよ」 「そうなんだ」 「だからといって、佐橋くんになびくことは しないよ。僕が好きなのは岸野くんだもの」 「あ、うん」 まっすぐ僕を見つめ、微笑んでくれる川瀬。 もったいないくらいの愛情を感じて、 僕はまた黙り込んだ。 どうしてこんなに好きでいてくれるのか。 最初のデートを思い出していた。 5月15日、日曜日。 その日は朝から土砂降りの雨だった。 10時にある繁華街の駅で待ち合わせした 僕と川瀬は、雨を避けて近くのカフェに 入った。 「ホントにありがとう」 「え、何が」 「岸野くんとこうしていられるのが、 嬉しいんだ。来てくれてありがとう」 コーヒーの湯気の向こう側で、 川瀬が穏やかに微笑んでいるのを見て、 もしかしたら好きになれるかもと思った。 「好きな気持ちが同じになるまで、 進展は急がないから大丈夫。もちろん、 好きな気持ちが育つのを焦らせたりは しないよ。ゆっくり僕のことを知って くれれば。岸野くんのペースで行こう」 川瀬はそう言った通り、 僕を最優先した言動をしてきて、 安心させてくれた。 見目麗しい彼にファンはたくさんいるのに、 何故僕を好きになったのか聞いてみると、 「理由かあ。岸野くんが困っていた学部の 女の子の世話をしていたのを見て、こんな 優しい人と付き合えたらいいなって思った。 でも、いちばんの理由はやっぱり岸野くんの 外見だよ」 「僕、川瀬みたいにイケメンでもないし、 特に目立った特徴なんて」 「そうやって謙遜する程滲み出る、儚げな 雰囲気って言うのかな。何とかしてあげたい って思わせてくれるんだよね」 「そんなものなんだ」 「うん」 川瀬は僕のことを優しいと言ったが、 もっと優しいのは川瀬だった。 川瀬は僕が不安に陥らないように 常に言葉を選び、 温かい眼差しで見つめてくれている。 デートを重ねるたびに、それを感じていた。 穏やかに恋を育んでいけることが嬉しくて、 僕にとっても川瀬が大切になりつつあった。 だから、佐橋くんが横から何を言っても、 川瀬との関係は変わらない。 波風は立ったが、収まった。 そう思っていた。 「あ」 今日、誰もいない教室をたまたま覗き、 見てしまった。 川瀬の首筋にするりと腕を回し、 抱きついている佐橋くんの姿を。 慌ててドアから離れたが、 しばらくそれ以上動けなかった。 気持ちをかき乱されていると思った。 川瀬は僕が好きだからなびかないと言った。 でも僕たちは手さえ繋いでいない、 プラトニックな関係だ。 それでいったいいつまで、 川瀬を繋ぎ止められるんだろうか。 もうそろそろ、 自分の気持ちと向き合う必要が出てきたと 思った。 川瀬には佐橋くんとの一件を見たことは 話さなかった。 でも、きっと川瀬は気づいてしまうのだ。 僕が何かを隠し、悩んでいることを。 案の定川瀬は僕を自分の部屋に引き込んで、 聞いてきた。 川瀬の洞察力は、恐ろしいくらい鋭い。 「岸野くん、何かあった?大丈夫?」 そう訊かれても、 正直に答えていいのかわからなかったから、 曖昧に微笑んだ。 僕は、川瀬のことを好きなんだろうか。 川瀬に抱きついた佐橋くんの姿が、 頭から離れずにいた。 それがショックで川瀬を気にしているのか、 それとは別に、 川瀬への気持ちが育ちつつあるのか、 まだ見えなかった。 「岸野くん」 心配そうに僕を見つめる川瀬に、 僕は初めて手を伸ばした。 彼に触れて、ドキドキするのだろうか。 怖いが、試してみたいと思っていた。 川瀬の手を取り、そっと指を絡めると、 川瀬は驚き、息を吐いた。 「岸野くん‥‥?」 指先から川瀬の動揺を感じながら、 川瀬を見つめ、絡めていた指を繋いだ。 胸の奥が、切なさでいっぱいになった。 ああ。 僕はちゃんと、川瀬のことが好きなんだ。 「そんな目で見られたら」 川瀬は、僕が熱を帯びた眼差しで 見てきたのに気づいたのだろう。 僕に繋がれた指を自分のものにしながら、 僕の耳元で囁いた。 「欲しくなるよ、全部」 「うん」 「いいの‥‥?」 信じられないという顔で、川瀬は僕を見た。 僕は微笑み、言った。 「大好きだよ」 優しい川瀬といると、 ひたすら優しくしたくなる。優しくできる。 そんな川瀬と、 ずっと一緒にいられますように。
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