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春妃は氷室の部屋から出て来た。駐車場には東がいる。
でも少し、心を落ち着けたかった。
誰でも氷室の立場になり得る。
微かな線のこちらと向こう側。
一階のロビーにあった自販機で何かを買って、一口含み口の中を潤わせた。
無意識に買ったものは無糖のストレートティーだった。普段買ったことの無い味。
別に喉が渇いていた訳では無い。
一口飲めば、それはもう使うことはなく、小さな荷物になった。
でもその重さは何故か春妃の心を少し落ち着かせた。
ホテルのロビーには、余暇を楽しむ人が通り過ぎて行く。春妃は背もたれの無い椅子に、疲れを逃すように腰掛けた。
少しずつ、春妃を覆っていた見えない恐怖が薄らいでいく。疲れと感じていたものはどうやら恐怖だったようだ。恐怖で体がこわばっていたようだ。
今この『普通』の場所が、とても遠い場所に感じた。一歩踏み外せば、誰でも線のあちら側。誰でも『普通』のこの場所でいられる訳では無いのだ。いつだって何かに巻き込まれることはある。
春妃は警察の事情聴取から帰った時と似た感覚を抱いていた。
普通のこの場所は案外尊いものなのだ。
こんな経験はしたくなかったし、これからも二度としたくは無い。
春妃はふーっと息を吐いて立ち上がり、駐車場へと向かった。
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