魔悪ノ使天

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 男は全てに疲れていた。周りからの期待に応える為、本来の自分を殺して優秀な人間を演じなければならない現実に。  男は至って普通の家庭の四人兄弟の長男として生まれた。兄弟の中ではそれなりに出来が良かった為、家族からの期待を一身に受けた。  学校の成績は一番。それ以外は価値は無い。一番になって良い大学に入り、医者になることが家族を、そして自分の未来をより良いものにする。呪文のようにそう教え込まれた。  しかし、男は医者になりたいという熱意は少しも無かった。ただ、家族の期待に応える為に漠然と抱いた夢に過ぎない。  結局大学医学部へ進学したが、自分のやりたいことではなく、ただただ苦痛の大学生活から何度も逃げ出したいと考えた。  しかし、家族は男の考えなど微塵も許さなかった。それに逆らうことは出来ず、気が付いたら医者になっていた。なりたいと思ったことのない医者に。  男はもう限界であった。ただ家族の期待に応える為に優秀な人間を演じることに。  自分を縛る枷から解放される為には、今の自分や自分を取り巻くもの全てと決別しなければならない。  そう結論付けた男は殺人鬼へと変貌を遂げた。  手始めに家族を殺めた。そして、その遺体を人が滅多に立ち入らない山奥に埋めた。この残虐非道な行為は、自分自身の解放の為の尊い犠牲として正当化されて然るべきである。  これで(ようや)く解放、とはいかなかった。自分だけの恣意的(しいてき)な道理が(まか)り通るわけが無い。  やがて自分以外の全ては自分の平和を脅かす敵に見えてきた。  自分を守れるのは自分だけ。相手が何者であれ、自分の平和を脅かす可能性が1%でもあれば排除しなければならない。  これが、世間を戦慄させていた殺人鬼の正体である。
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