第一章

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 図書室入口扉の前で立ち尽くすミズキの視線の先には、微かに開かれた扉とLED照明の眩い光が漏れていた。 「ガラガラガラガラ――」  恐る恐る開かれた扉の奥に(うごめ)く見覚えのある人影。上下グレーの作業服に七十歳近い年齢のせいだろう、微かに腰を曲げたシルエット。その姿を目にすぐに用務員の須賀谷(すがや)さんだと認識できた。 「ない、無い――。 一体何処へ消えたんだ!」  温厚で優しいお爺ちゃんを連想させる普段の須賀谷さんからはとても想像できない、まるで別人の様な姿。何かに追い詰められ、緊迫したその表情を目にすぐに声を掛ける事を躊躇(ちゅうちょ)してしまう。白髪交じりの自らの髪を鷲掴みし、首筋には一筋の汗が流れ落ちていた。 それは、図書室内に残る暖房のぬくもりのせいではない。彼の足元に大量に散らばった書籍の山の数々。ほんの数分前に施錠した時には、綺麗に整理整頓されていた図書室内部、彼は一人で短時間の間に数百冊を超える書物を本棚から無造作に撒き散らしていたのだ。 「何か探し物ですか?」 「わああぁ!!!」  ミズキの気配に気が付く事の無かった彼は、突然背後から掛けられた言葉に叫び声をあげた。 「ハァハァ、驚いた」 「ごめんなさい。そんなつもりじゃ……」  とても親しみやすかった彼の眼差しは、一瞬、まるで別人のように異様な目でミズキを睨みつける。懸命に冷静を装いながら微笑みを浮かべ彼は言葉を続ける。その行動、発言の全ては明らかに動揺している。 「あぁ、照明をね。蛍光灯の交換をしないといけないと思って様子を見ていたんだよ」  普通ではない散乱した書籍へと向けたミズキの視線に気がついたのだろう。彼は間髪いれる事無く声を荒げた。 「ちゃんと片付ける。脚立のバランスを崩して本を落としてしまったんだ。それより下校時刻は過ぎているぞ」  貸出カウンターの脇に置き忘れた携帯電話を手に、ミズキは軽く微笑みを浮かべる。 「あぁ、忘れ物かい。気をつけて帰るんだよ」  いつもと変わらない歩幅、ただ微かに速度を上げ逃げる様に図書室を後にした。 『ドクドクドクッ……』  図書室の扉を閉め一度も振り返る事無く駆け下りた階段、職員室の明かりを目にようやく高鳴る鼓動が落ち着きを取り戻し始める。 『おかしい……』  脳裏から消える事の無い用務員の異様な驚きと眼差し。図書室の照明は二週間前に全て蛍光灯から長寿命のLED照明器具へと交換されたばかりだった。
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