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弥治郎と夕霧との出会いを思い出す。それは偶然だった。
友人と冷やかしがてら、幽凪屋の張見世の前を通りがかった時だ。弥治郎はその格子の奥に座っていた夕霧に一目惚れした。芒の柄の着物を纏った三日月のような女だ。夜空のうちに、今にも消え入りそうな風情がある。
「おい、弥治郎。本当に幽凪屋に入んのか?」
友人は心配そうに弥治郎を眺めた。
「文句あるのかよ」
「いや、だってよ。幽凪屋だぞ」
友人が止めたのも当然だ。
幽凪屋。それはこの神津新地の中でも一際奇妙な遊女屋として知れ渡っていた。好き者御用達。つまり特殊な遊女ばかりという評判なのだ。そして新地の奥まった場所にあるにもかかわらず、幽凪屋の張見世の前には人だかりができている。
その格子の内側には、異常な巨躯や小人、四肢が欠けていたり鱗があったり、目が一つや口が裂けていたり、あるいは梅毒のせいか鼻がかけたり全身に痕があるような、いわゆる見世物小屋にいるような男女が大人しく並んで、琴を弾いたり歌を吟じたりしている。
その大人しさは格子前の下卑た喧騒に無関心であり、なんとはなく、格子が彼我の世界を隔て、喧騒から彼らを守っているかのようにすら思わせた。そしてその中に座る美しい夕霧は、異形を付き従えているように見え、弥治郎の目には妙に整って美しく見えたのだ。
つまり幽凪屋とはそのような店だ。友人の言いたいことは、そのような店の格子の内にある夕霧も、何らかのそのような部分があるのだろう、だから止めておけということだろう。
けれども弥治郎は格子の内の夕霧の姿が目に焼き付き、一旦はその場を離れたものの忘れられず、友人と別れ、張見世の反対側にある幽凪屋の暖簾をくぐった。
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