1.昼日中

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「どうした、(ぼう)として」  青山の声に、弥治郎は回想を打ち切る。すでに本日分の帳簿の確認を終えた青山は、男にしてはやや小柄で体にすっきりと沿った洋装を身にまとっていた。その長い前髪で隠されていない方の左目が、じっと弥治郎を眺めていた。 「……果たして見請けなど叶うのかと思いまして」 「そんな弱気でどうする。俺はお前の熱意を前提に金を貸したんだ」 「いえ、けれどもそれは見果てぬほど遠いように思われて」 「夢とは掴み取るものだ。もとよりお前の試みは見果てぬ金を積み上げる作業だよ。よもや諦めるつもじゃないだろうな」 「まさか。もちろん夕霧を諦めるつもりなど毛頭ありません。……諦め切れるものなら、どれほどよいでしょう」 「ならば良い」  弥治郎は噂を思い出す。青山自身も遊女に惚れている。新地で一二を争う紫檀楼(したんろう)の花魁だ。その身請けには夕霧よりよほど莫大な金額が必要だ。 「ところで今日は商談を持ってきた。神津警察の制服を一新する計画がある。お前、制帽を作らないか」 「制帽、でしょうか」 「ああ。山辺(やまべ)洋装店が制服を作るから、お前は制帽を作れ。だいたいの参加者は制帽も制服も同じ業者が作るようだが、分けても支障はあるまい。お前は山辺とも親しいのだろう?」  山辺宇吉(うきち)は弥治郎と同年輩で、弥治郎より少し前にこの新興区に洋装店を構えた男だ。同じ商店会に所属しているが、誰とも特に親しくしていないようにも見えた。親しいかと言われると困惑が勝つ。 「採用されれば一度に何百という注文が入るぞ。毎春には定期的にな。官が相手だから値引きの必要もあるまい。身請けも少しは現実味を帯びるだろう」  弥治郎はその話に目を見張った。  現実味どころではない。弥治郎が頭の中で軽く試算をしてみても、莫大な金が動く。その金であれば、夕霧を見請けできるかもしれない。その期待に弥治郎の胸は高まった。けれども同時に夕霧の儚げな表情が胸に浮かぶ。  青山の引き合わせで改めて会った山辺は、商店会で会うのとは違い、弥治郎の目には思いの(ほか)情熱的な人間にうつった。制服採用に向けての気概が漲っていた。聞けば宇吉の思い人も遊女なのだそうだ。何としても選ばれて、見請け金を貯めると息巻いていた。  それが弥治郎にはなにやら眩しく思えた。  山辺も汎用的な服を作るのは初めてだというが、弥治郎も初めてだ。色味を統一し、日毎にいくつかのサンプルを持ち寄り、検討を重ねる。 「白河さん、ケピ帽というのは不思議な帽子ですね」 「仏国の軍隊で使用されているようですね。このように円筒形で短いツバがある」 「風光堂(ふうこうどう)の焼き菓子の缶のようです」  宇吉はともすれば、子供のような笑い方をする。その目的に向けた、曇のない目が弥治郎にはひどく眩しく写った。  風光堂は同じ新興区にある洋菓子屋で、昨今贈答に人気がある。確かに中の菓子を除いて逆さにかぶれば、似たような姿にはなるかもしれない。  もともとの神津警察の制帽もケピ帽であったが、カフェーで眺めてはツバの始まりの位置が内に寄って不格好だと思っていたところだ。おそらくもともとのデザインは西洋人の頭の形に合わせたもので、頭が横に広い日本人であればよりツバの両端を広く取るべきだろう。 「なるほど。さすがは白河さんです」 「いえ、山辺さんこそ素晴らしい。威厳の出し方など、服にも目的に応じた型というものがあるのですね」  そう率直に述べれば、宇吉はやはりひどく嬉しそうにはにかんだ。  弥次郎と宇吉は時にはその生活をほとんど同じくし、意見を取り交わしながら縫製や裁断をする。そうした工夫は互いに得難いものとなり、日を重ねるごとに信頼感は増した。同じような境遇であることから、いつしか仕事以外のことも話題に上がるようになる。
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