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だから、弥治郎は思い切って宇吉に尋ねることにした。
「山辺さん。身請けを喜ばぬ遊女はいるのでしょうか」
「……どうなのでしょうね。普通は喜ぶと思いますが。喜ばれないのですか?」
「それがどうもわからぬのです。自分はこの楼を離れられないとのみ述べるのです」
宇吉は心配そうに、僅かに首を傾げる。
「見請け金が莫大であるのを遠慮されているとか」
「金額の問題でもないようで」
弥次郎は幽凪に身請けを申し出たときのことを思い出していた。遊女を身請けするにはまず楼主に伺いを立てねばならない。あれも薄暗い夕暮れのことだった。幽凪屋の暖簾を潜り、番頭に楼主に繋いでもらう。丁度青山と出会い、帽子店を始めることが決まった頃合いである。
「楼主様、夕霧を身請けするにはいくら入用でしょうか」
「おや。お客人、本気仰っしゃられているのです?」
「まだ目処は立ちませんが、新しく仕事を始めましたのでいずれは、と考えております」
「へぇ。そうですね。夕霧の借金はいくらで御座いましたかな、おい」
番頭が運んできた帳簿を、幽凪は煙管を燻らせながらペラペラとめくる。その時間をただひたすらにじっと待つ。やがて示された金額は、青山の予想した金額とそう変わらなかった。いずれ自分にとっては途方もない金額だ。聞いた話ではこれに祝儀金やらなにやらもかかるらしい。
「うちはこれだけ払ってもらえればよう御座います。相場外れの額じゃ御座いません。後は夕霧とご相談ください」
嗄れた幽凪の声に弥治郎は困惑した。なぜなら、見受けの話は通常楼主とのみ行うものだからだ。
「夕霧に?」
「ええ。うちは家族みたいなものですから。本人の意思が肝要です。夕霧に出ていくつもりがないのでしたら、身請けに応じるこちは致しかねます。これはあの子の借金でございますからな」
「それは確かにそうなのでしょうが。その、何かあるのでしょうか」
「さて。それは直接夕霧に聞いてごらんなさい」
幽凪はそう述べて目を細めた。
身請けというものは遊女の借金を肩代わりするものだ。それであれば遊女が拒めば為せぬのも道理なのかもしれない。
けれどもその時、弥治郎は断られるはずがない。そう思っていた。格子の前に見せ物の如く並べられ、春をひさぐ暮らしはろくなものに思えなかったからだ。
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