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翌日、老執事は再び犯人の部屋を訪れた。扉を叩いて名乗り、部屋の主の許可を得て扉を開き一礼する。
「少々お時間を頂きたいのですが宜しいでしょうか、お嬢様」
出迎えたのは彼が仕える騎士の一人娘だった。今年でようやく十歳になるお嬢様。
「あら爺や、長いお話かしら」
愛らしく小首を傾げれば美しく長い金髪がさらりと流れる。
「ええ、多少は。いかがでございますか?」
「わかりました。爺やが改まって言ってくるほどのことですもの」
老執事は扉を閉めるといつものように彼女の傍らに立つ。部屋の中にはふたりだけ。他の男使用人であればこうはいかないだろうが、屋敷内における彼の信頼はそれだけ大きなものだった。
「実は最近使用人の失せ物が続いておりまして。既に八件ほど申告を受けてございます」
「そうなの。それは……いけないわね」
少し間があったものの彼女は何気ない顔で返事を返した。自白するつもりはないようだが、それは老執事の想定を出るものではない。
「……お嬢様、世には“盗人の三戒”というものがございます」
「それは聞いたことがないわね?」
「庶民の、それも下層の民の言葉でございますのでお嬢様には無縁のものでしょうな。……今までは」
「そ、そう……」
思わせぶりな言い方に彼女の表情が一瞬だけ固くなる。その様子を的確に見抜きながら老執事は続けた。
「そのひとつに、“己よりも貧しい者、卑しい者から盗ってはならない”というものがございます」
「それは……爺や、どうして?」
彼女の問いに彼は頷く。
「盗みを生業とする者は、邪悪でも怠惰でもなく、他に生きる術を持たぬからなのです」
「悪いひとではない、ということ?」
「悪くはありましょうな、ひとの物を盗むのですから。しかし生きるに困っていなければ、ほとんどの者は見つかれば捕まり仕置きを受ける盗みをわざわざ好んで行いはしないものです」
無論性根の底から邪悪な者もいるだろう。しかしそれをわざわざ彼女に今この場で教える意味はない。
「盗みは生きる為に行われるからこそ、己より貧しい者、せいぜい対等な者、そうでなくとも生きることで精一杯な者らからは盗ってはならないのです。それは己と引き換えにその者を殺しかねませんので」
「そ、それは生活に関係のないような、些細な物でもダメなの?」
「然様でございますお嬢様」
老執事の即答に、彼女は狼狽の表情を浮かべる。
「そんな……」
「生活に関係のない些細な物で心を支えている者もおるのです。メイドが結婚指輪を失ったときの狼狽えぶりをご覧になりましたか?」
「え、結婚指輪……? それは、いえ……いいえ……」
彼女はその時間別のメイドに付き従われて湯浴みの最中だった。当然知ろうはずもないし、老執事もそれを承知している。
そもそも今年十歳になったばかりの少女はそれが結婚指輪だなどと見てもなかなか想像は出来ないだろうが、庶民はそういった装飾品を当然のように持ってはいないのだ。
しかしそれについて老執事はこれ以上深くは語らない。大事なのは彼女に言葉の意味を理解してもらうことであり、責めたてて罪悪感を与えるのが目的ではない。
「故に、おおよそお嬢様が目下と思う者からは軽率に盗んではなりません。宜しゅうございますね」
その念押しに彼女は消え入りそうな表情で小さくひとつ頷いた。
「ではお嬢様、彼らから盗った物を各々へと返す計画を立てて参りましょう」
「はい……え、え? ええ!?」
彼女はこの期に及んでまだ自分が疑われていないと思ったのだろうか。驚いたように顔を上げて老執事を凝視した。彼はにこやかに頷いて続ける。
「まずは彼らからの盗品をこちらのテーブルへお出しくださいませ」
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