おうち時間

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おうち時間

「十五から七を引くんだから……ううん、指はもう使わないほうが……、いや、いいか。そう、何本のこった?」 「七?」  自信なげにいう息子に苦笑いする。どう教えよう? 「じゃあ、十から七を引いたら?」 「さん……?」 「もっとはっきり」 「三!」 「よし。で、あとは五が残ってるから足してみな」 「八だぁ!」  正解を書きこむとノートが自動的に採点し、おはじきを使った解説が表示された。これで解きかたがつかめたのか、つぎの三問を連続で答え、正解する。そのうれしそうな顔にこちらも笑ってしまう。解けたという知的な快感は年齢に関係なく味わえるようだ。 「ねえ、お外で遊んじゃだめ?」  計算ドリルを終わらせてしまうと、もう飽きたのかつまらなそうにそういった。思いっきり遊んどいで、といいたいが、だいぶ遅れている。しばらくは家にこもりっきりで課題を進めなければならない。 「つまんない。みんな遊んでるのに」  首を振るのを見てそういった。自分でもわかっているので、駄々をこねたり泣きだしたりしないのがかえってかわいそうだが、これもこの子のためだと思ってこらえる。  ノートが理科に変わった。生き物の体の構造についてだ。上から見たカブトムシとアリとクモとネコが描かれ、体の各部から出た線の先に名前を書き、かつ、共通する部位を結ぶという問題だった。  これは息子の興味を引いたらしく、さっきのつまらなそうな様子は消え、集中して解答欄を埋めている。しかし、触覚を足としてしまった。ノートがヒントを出す。絵を横からの視点に変えつつ移動のアニメーションを加え、触角が地面についていないことと、移動に用いられていないことを示した。 「なに、これ、わかんないよ」 「わからない時はどうするんだった? ヘルプでみてごらん」  なんでも教えるのは良くない。ノートの使い方くらいは自分で調べるよううながす。息子はヘルプページを呼び出し、指示に従って解答欄に疑問符を入れてタップした。この器官についての短い解説が流れ、最後に名前が示された。 「へぇ、しょっかくっていうんだ。でもクモとネコにはないね」  ひととおり欄を埋めると解答と解説がはじまった。生き物のさまざまな器官の名前と役割、それぞれの仲間に特有のものや共通のもの、別だけど似た役割をもつもの、それらが整理されている。息子は七割ほどしか正解できずくやしそうだった。 「虫とか好きなのにな」 「好きでも勉強しないと知らないことだらけってことだよ」 「お父さんもこんな勉強ずっとやったの? 大人になるまで」  次の課題に移ったノートから目を上げ、真面目に聞いてきた。答えに詰まってしまう。  こんな勉強はしたことがない。そう正直に答えるべきだろうか。この子くらいの頃、勉強というのは後頭部と両目に装置を当てがってじっとしていることだった。やわらかいブザーが鳴ったら装置を外す。するとつける前にはわからなかったことがわかり、できなかったことができるようになっていた。  そうやって二、三年ですべての初等教育を終えてから、はじめて高等教育課程が始まる。基礎の土台は機械教育で手っ取り早く積み上げ、そのうえで人と人が触れ合って考え方を学ぶのだ。  息子のような例外を除いて。  ごくまれに、どうしても神経への直接書き込みや、RNA注入による経験の移植を受け付けない子が生まれる。原因も治療法も不明だった。  そういう子だって教育を受ける権利はあるし、知識を吸収する能力はまったく劣っていない。だからノートのような機器が発明され、家庭教育が行われている。  二、三年で済むところを十二年以上かかるが。 「うん。勉強はやったよ。がんばった。だから家族をもって、おまえが生まれてきて、こうやって一緒に勉強できるようになったんだよ」  質問をずらして答える罪悪感を覚える。それでも今、この子がいる幸福はごまかしではない。  だから、この子も勉強して幸せを自分でつかみ取ってほしい。人とちがう勉強方法で時間もかかるが、それでも勉強にはちがいない。 「そっかー、おうちで勉強かぁ。でも、終わったら遊ぼうね。お父さん」  そうさ、おうち時間だって悪くはない。 了
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