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秋の夜を切り裂くような呼び子の音がかまびすしい。
昨今話題の乱麻小僧様とやらがどこぞに盗みに入ったのかも知れなかった。
小料理屋を営む五郎左は、二階の寝床の中でまんじりともせず身を堅くし、固唾を呑んで成り行きを窺っていた。
自身は裏稼業から足を洗ってもう五年は経つのに、呼び子の音を聞くと未だに我が事のように緊張が走る。これはもう、生涯治らない病だろう。
それにしても今夜は随分おもてが騒がしい。捕り方の人数が相当出ているようだった。
五郎左が知っているだけで近頃の乱麻小僧の盗み働きは三件。
いずれも被害に遭ったのは札差を初めとする大店の蔵だった。どんな錠前も手妻のように解き、千両箱から切り餅をいくつか盗んでは、宵闇に紛れて江戸市中の家々に小判を投げ込むと言うことだ。大商人の富の一部を庶民に分け与えることから義賊だの乱麻小僧様だのともてはやされているのだった。
五郎左の店の馴染み客にも「お恵み」を待ち望む乱麻小僧信奉者が何人も居るが、五郎左はその話題を好まなかった。閉塞感でいっぱいの日常を彩る唯一の胸の空く出来事という意味合いで評判になっていることは分かってはいるが、所詮は刑罰の対象となる後ろ暗い稼ぎなのだ。そこに正義も善行も無い。それに五郎左にはもう一つ、歓迎出来かねる理由があった。
一際高い呼び子の音が耳をつんざき、思わず自身の両腕を強くかき抱いた時、五郎左の休む部屋の高窓が開き、するりと人影が忍び入ってきた。正確には、背後に、猫が着地するくらいの微かな足音を聞いた。
五郎左は身の危険を感じ、布団の下に隠した匕首に手をやった。
「五郎さん、俺、俺」
その不穏な空気を感じ取ったのか、焦ったような早口で囁かれた。
そのよく知った懐かしい声に、五郎左の息が止まる。
誰何も果たせず、振り向くことも出来ないままなのに、侵入者はあろうことか五郎左の布団をめくり、中に入り込んで来た。
「元気だった? 久しぶりだね」
「おまえ……」
布団の中で背後から抱きしめられている状況に、五郎左は匕首を手にすることを諦めた。冷や汗が首筋を伝う。
「隼人か、何やってんだ。ここ二階だぞ」
「そうだね」
「追われてんのか」
「ちょっとしくじった」
言葉の割に切迫感が無い。
五郎左はため息を吐き、顔を見ようと身じろいだが隼人の長い腕に阻まれた。
「いつこっちに戻って来た?」
一人暮らしで家人もいないから誰に聞き咎められることもないのだが、用心するに越したことはない。五郎左は囁くよりも小さい声で尋ねた。
「……最近、かな」
曖昧な返事だ。明かりを点けると外に漏れ、確実に怪しまれる。やむを得ず真夜中の暗闇の中で、もう一度隼人の顔を見ようとしたがやはり抵抗されて果たせなかった。
「それじゃ、いま乱麻を名乗ってるのはおまえさんなのか」
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