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「違う……これは」  この期に及んで、まだ誤魔化そうというその心意気に、社員は脱帽しそうになった。 「何をしたんだ……あることないこと吹き込んだのか!」 「ちょっと種撒いただけですよ。それに、嘘はついてませんから」 「嘘かどうか決めるのはお前じゃない!」 「そうですね。だからこうして騒がれている訳ですよ。嘘かどうか決めるのは世間です」  まもなく、事の重大さを知った警察もここへやって来るだろう。自分はもうここにいる必要はない。専務が力なく跪いたのを見て、社員はスマートフォンをポケットにしまい、踵を返した。 「……待ってくれ……」  背後で響いた小さな声など、無視すればいいことだった。だが次の彼の言葉は、社員の足を止めてしまったのだ。 「せめて……せめて私だけは見逃してくれないか。妻も子供もいる。あいつらにも人生がある……」 「それ、あなたが殺した社員にも言えるんですか?」  社員は、羽織っていたジャケットを脱ぎ捨てた。目の前に落ちたジャケットに気が付き、専務は顔を上げる。自分を見下ろすその人物に、彼は眉を顰めた。 「全く、子供は不憫な生き物ですよ。育ててくれる親を選べないんだから」 「お前……何者だ?」  まるで闇を纏っているかのような真っ黒なマントは、専務の目にその人物を怪しく映し出す。  赤いリボンの巻かれた黒いシルクハットの鍔を握り、その人物は言った。 「申し遅れましたが、私は新入社員じゃないんですよ。強いて言うなら……潜入社員?」  にやりと微笑むその口元からは、歯並びの悪い八重歯が覗いていた。
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