5ー2 婚約者の影②

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5ー2 婚約者の影②

「わざわざまたあの町に戻るなんて馬鹿げています! どうかお止め下さい!」  ロイはもうすっかり良くなった身体で何度もレティシアの前に躍り出た。その度に躱されて追い越されてしまう。二人のやり取りを少し離れて見ていたロジェとフランは、呆れたように積荷を馬車の荷台に括り付けていた。  領地に帰ってきてからすでに一ヶ月が過ぎようとしていた。ロイの回復を待って準備を進め、小麦や野菜、調味料に衣類などを荷台一杯に積み込み、レティシアは満足そうにロイ達を振り返った。 「それじゃあ行きましょうか。ロイはお留守番でもいいのよ? 今回は護衛の兵士も一応連れて行くし、ロジェも行くから大丈夫よ」 「ロジェ! 止めないのか? 本当にそれでいいのかよ!」  御者台に登りかけていたロジェはさも当たり前のように返事をした。 「弟を助けて貰ったんだ。お礼をしてくださるというお嬢様には感謝しているよ。お前も早く来い」  その瞬間、ロジェが一瞬遠くに視線を向けた。そしてそのまま走っていく。玄関には緊張が走ったが、すぐに戻ってきたロジェは待っていた者達を安心させるように首を振った。 「気のせいだったみたいだ。驚かせてすまない」 「何か見えたの?」 「レティシア様すみません。なんとなく人の気配を感じたものですから。でも少し過敏になり過ぎていたようです」 「それじゃあ行きましょうか。この荷物だからきっと馬も大変だものね。休憩を取りながら向かいましょう。行ってくるわねエミリー!」  馬車はゆっくりと動き始める。レティシアと共に出かけると言って聞かなかったエミリーはヘソを曲げたまま部屋から出てくる事はなかった。それでもアンナに抱っこされたまま、結局窓からレティシア達を見ていたエミリーは、窓から大きく手を振っていた。それを目に焼き付けながら見えなくなるまで屋敷を食い入るように見つめ続けた。 「本当に、あの子には寂しい思いをさせてばかりだわ」 「あとでモリス様も遊びに来てくださると思いますし、きっとすぐに寂しさなど紛れますよ」  気を使って言ってくれたフランの言葉に頷きながら、窓に向けていた視線を戻した。  王城に一台の馬車が到着する。美しい装飾で飾られた馬車が王城の前に止まると、正装をして待っていたユリウスはその馬車から出てくる者を出迎える為に、階段を降りていった。  扉が開きゆっくりと出てきたのは、白銀の長い髪に愛らしい目元のすらしとした美しい女性、ルナール王国第三王女レア・ルナールだった。手袋越しでも分かる華奢な手が伸ばされたユリウスの腕に添えられる。後ろから付いてくる侍女を軽く視線で牽制する素振りを見せてから、ふっと小さく笑った。 「久しぶりねユリウス。ルナール王国で別れてまだ二ヶ月程しか経っていないのに、なんだか凄く疲れているみたいよ?」  ユリウスは愛想笑いするでもなく、無表情のまま軽く頭を下げると歩き出した。 「素っ気ないのは相変わらずなのね。でも前は婚約者に遠慮していたからだろうけれど、今は私が婚約者なのよ?」  するとユリウスは鼻で笑った。 「まだ正式な書類は交わしていませんよ」 「あと数刻もすれば正式なものになるわよ。もしかして緊張しているのかしら」  遠くから見れば絵になる二人の姿に、隣国の姫をひと目見ようと集まった者達で王城の出入り口付近は人が多くなっていた。しかし護衛の騎士達が人の流れを止めている。ユリウスとレアは王の間に向かいながら言葉の応酬を続けていた。 「まさかこれだけ早くに、こんな眉唾物の話が通るとは思いもしませんでした」 「あなたの申し入れだもの。これでも私頑張ったのよ? 欲しいものは絶対に手に入れたい主義なのよね。お城に滞在中にどれだけ私が誘っても、あなた靡いてくれないんだもの。用意した夜着が可哀想だったわ」 「それはどうか別の相手の為に使って下さい」  白い頬がぷくっと膨らむ。通路で通りすがった文官達は顔を赤らめてレアを見つめていた。 「ここでの視線は新鮮でいいわね。楽しくなりそうよ」 「どうか羽目を外すのはお止めくださいね」  するとレアは楽しそうに笑った。 「それはあなた次第よ。それに羽目を外したのは、あなたの元・婚約者ではなくて? それでも頑張っちゃって、本当に壊しがいがあるわね」  その瞬間、射殺しそうな程冷たい視線がレアに向いた。それでもレアは楽しそうな表情を崩さず、ユリウスの腕に自分の腕を絡めた。 「さあ入りましょう、国王陛下がお待ちよ」  王の間で受けた歓迎は異様なものだった。二国を繋ぐ結婚だと国王陛下は大いに喜び、明日にでも式を挙げる勢いで祝福された。  ユリウスは深く息を吐きながら自室で上着を脱ぎ捨てると、ソファに座り込んだ。 「ッくそ」  腕で顔を覆うと、この所増えた溜息が何度も出てしまう。疲れているのに眠る事が出来なくて、頭痛がし始めていた。  扉が叩かれる音にも返事をしないでいると、勝手に扉が開く音にとっさに顔を上げ、渋い顔になってしまった。 「お邪魔だったかしら?」  レアは付いてこようとする侍女を制すると、扉をぴたりと締めた。扉が閉まる寸前、侍女と目が合う。困惑しているのは明らかだった。男と二人きりになり状況が不利になるのは女性の方。それなのにレアは楽しそうに近付いていくるのが滑稽でユリウスは顔を背けた。 「それで、今度は何しを企んでいるので? 書類を交わし正式な婚約者となったんだからもう満足でしょう」  するとレアは着ていたドレスを脱ぎ始めた。さすがにぎょっとしたユリウスは立ち上がると急いでその手を止めた。慌てて掴んだ手首は華奢で、見上げてきた瞳は濡れている。レアは服を脱ぐのを止める変わりに、ユリウスの首に腕を回してきた。 「婚約者になったのだから、もういいでしょう? 私これでもよく我慢した方だと思うの」  ユリウスが首に回った腕を解こうにもぶら下がれる程に力を入れられ、不意に屈んでしまう。その瞬間、逃れられない近距離で唇が押し当てられた。柔らかいその感覚に、ユリウスは最初何が起きているのか分からず、そしてすぐに力づくで引き離そうとした。しかし拒絶しようと開いた口に小さく熱い下が滑り込んでくる。噛み付く訳にもいかず、舌で押し返そうとした舌は、絡み合うようになってしまった。 「ッ、やめてください!」  ようやく引き離すと、レアは満足そうに頬を赤らめてドレスを脱ぐ続きに取り掛かった。迂闊には近づけない。それでも完全に服を取り払われては他の者達にいらぬ誤解を生んでしまう。コルセットやドレスを着せてやる事が出来ないユリウスは仕方なく、再びその手を掴んだ。 「何がしたいんですか? これは単なる嫌がらせですよ」 「あら、これでも意外と私モテるのよ?」 「存じ上げておりますよ。でも私は興味ありません」 「もし純潔かどうかを疑っているなら先に医師の診察を受けてもいいわ」  すると、ユリウスはなんとかしてレアの手を握って止めた。 「レア様、私は別にあなたが純潔かどうかと疑っている訳ではありません。ですからどうかご自分の価値を下げるような言動はお控え下さい」  返事がないまましばらくレアの出方を伺っていると、きょとんとした瞳のあとに、可愛らしい声で笑い出した。 「やっぱり、だから私はあなたが好きなのよね」  レアは脱ぎかけていた服を自分で戻していくと、ここへ来た時とは比べ物にならない程の純粋な微笑みで俯いた。 「それじゃあ、お楽しみは初夜まで取っておくわね」  そういうと部屋を出ていく。扉の真ん前で待機していた王女付きの侍女に、キッと睨まれた気がしたが、ユリウスはもうそんな事はどうでもよくなっていた。痛みが増す頭痛を我慢しながら今度は奥の寝室に向かう。そして、今度こそ浅い眠りについたのだった。  
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