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3 そして二年と少しが過ぎました
「お嬢様、もう間もなくお城ですよ!」
レティシアはぼんやりとしていた意識を取り戻して、とっさに馬車の窓から外を見た。
ユリウスから届いた手紙を読むなり、飛び出すように領地を出発して久しぶりの王都へと足を踏み入れたのは昨日。
「なんとか間に合いましたね! 私少しハラハラしましたよ」
「そうね。私もどうなる事かと思ったわ」
一緒に王都に来たメイドは目をキラキラと輝かせて窓の外を覗いていた。
「アンナは王都が初めてだったわね。良かったら少し時間をあげるから街を見てくるといいわ」
「いえいえ、お嬢様のお側におりますとも! それに私はお城をしっかりと目に焼き付けてご報告するという義務がありますから」
二人で顔を見合わせると、プッと笑い合った。
「私もちゃんとお土産話を用意しておかなくちゃ。もちろん話だけでなくちゃんとお土産もね」
「そうそうお土産を忘れたら物凄く怒られそうですからね」
再び馬車の中で笑い声が上がる。レティシアは王都に来たばかりだというのに、もう領地が恋しくなり始めていた。
ユリウスから、帰城しても報告や事務作業があるのでしばらくは城へ詰める事になると思うという内容が手紙に書かれていた為、それならば長旅の負担にならないようにと城で待つ事に決めたのだった。馬車がゆっくり止まると共に心臓がうるさく鳴り出す。アンナも緊張しているのか、表情が固いまま馬車が止まっても動こうとしなかった。
「もうユリウス様は着いていらっしゃるでしょうか?」
「まだじゃないかしら。予定通りならご到着は夕方くらいになると思うわよ」
そう話しながら馬車から降り、久しぶりの登城に緊張を隠しながら顔を上げると、懐かしい男性が立っていた。
「レティシア! 待っていたよ!」
金色の美しい髪を揺らしながら階段を駆け下りてきたのは、ユリウスの長年の友人、イヴ・ヴァルト子爵だった。子供の頃からよく知っている顔に緊張が少しだけ解けた気がする。
伯爵家の嫡男で、若くしてすでに子爵の位を賜っている優秀な青年のイヴは、アラン殿下の右腕として働くようになった今でも気さくに接してくれる優しい性格で、忙しいであろう時間帯にも関わらずこうして出迎えてくれた。それはきっとユリウスが頼んでいたからに違いない。見えない所でもユリウスの愛情を感じて胸が一杯になった。
「ご無沙汰しております。ヴァルト子爵」
「ははッ、こういう時は今まで通りで構わないよ。久しぶりだけど元気そうだね。僕の方が先に君に会ったと知ったら、ユリウスに殺されるな」
「フフッ、嫉妬はしそうですね。ユリウスもそろそろでしょうか?」
「そうだと思うよ。君に会うのが待ち遠しくて、きっと一人で馬を走らせて来ると思うよ」
「それではユリウスが帰られるまで待たせて頂きますね」
イヴに案内されるまま久しぶりの城内を歩いていく。ピカピカに磨き上げられた床に、何度見ても圧倒される柱や天井の細工を見ていると時折視線を感じた。しかし目が合うとすぐに視線を外されてしまう。そんな事が何度かありながら、イヴは二階にある客間の前で足を止めた。
「きっとユリウスは驚くだろうな。二年離れていただけで、レティシアがこんなに美しくなっているんだから。さっきから皆がちらちらと君を見ていただろう?」
「あれはイヴ様とご一緒だったからではありませんか?」
「違うよ。僕なんか毎日ここにいるから珍しくもなんともないだろう? レティシアの美しさに目を奪われていたんだよ」
その言葉にホッと安堵してしまう。実は久しぶりの王都では一体どんなドレスが流行っているのか、髪型や化粧は時代遅れではないかなど、馬車の中でそんな事をずっと考えていた。
「イヴ様にそう仰って頂けるととても心強いです」
「そう? それは良かった。僕は仕事に戻るけれど何かあれば外に控えているメイドに言うといいよ」
レティシアは礼を言うと、アンナと共に客間へと入っていった。
「何なんですかあの美しすぎる男性は! あれで王子様じゃないんですか? 王都、恐るべしですッ」
アンナは独り言のように呟きながら閉まった扉を振り返っていた。
「確かにイヴ様はご令嬢やメイド達にも人気があったわね。凄くお優しい雰囲気だし、実際お話してもあんな感じで紳士だものね。でも実は冷静でかなり手厳しいとユリウスから聞いた事があるわ」
「あのご容姿でお仕事へのその取り組み方……むしろ加点でしかありません!」
「イヴ様は競争率高いわよ」
からかうように言うと、アンナは顔を真赤にして抗議してきた。
「そんなんじゃありませんよ! 私など相手にもされない事くらい分かっております! さっきだってひと目すら私の事は見られませんでしたから」
しょんぼりとしたアンナが立ち上がった時だった。扉が叩かれる音に、アンナと顔を見合わせる。まだユリウスが到着するには早い。でもそれ以外にこの部屋を訪れる者に心当たりがない。逸る気持ちでアンナに頷くと、押し開かれた扉の前に立っていたのは、この国の王だった。
「ご無沙汰しております。陛下!」
とっさに右手を胸に当てて膝を着く。レティシアの言葉に驚き立ち尽くしていたアンナが騎士に連れ出されていく。
「アンナ!」
「大丈夫だ、少しそなたと話がしたいだけだよ」
上げてしまった顔は鋭い眼光に囚われてしまう。国王に会ったのは、ユリウスと婚約した子供の時のたった一度だけだった。無意識に身体が震え出す。国王が動くまま後に続くと、ソファへと促された。
「手短に話をしようか。それが互いの為だろう」
「……はい」
良い予感はしない。たかがいち貴族の娘の元を国王が直々に訪れるなど、心当たりは一つしかなかった。
――この御方は全てをご存知なのね。
辛うじて出た短い返事すら震えていた。
「レティシア・サンチェスよ。ヴィンター侯爵の息子ユリウスと婚約しているな」
「はい、陛下」
「ユリウスとの婚約は断るのだ。ユリウスにはもっとよい相手を私が探してやろう。もちろんそなたにもな」
「……お言葉ですが、ユリウス様が納得するとは思えません」
「ほう。なぜそう思う?」
短い相づちが剣の切っ先のように首に押し当てられている気分だった。それでも、組んでいた指先が白くなる程握り締めながら続けた。
「ユリウス様は私との結婚を心待ちにしております。理由もなく破談など納得するはずがございません」
「それならお前からその理由を話すか?」
「……そうするのが誠意だと思っております。ユリウス様には知る権利がございます」
「誠意か。しかしそれは認められんな。ユリウスは今後アレンの側でこの国を支えていく大事な男だ。醜聞のある一族との婚姻など認められる訳がない」
「ですが広まってはおりません!」
「ならばお前は胸を張ってユリウスの隣に立てるか? 万が一にも妹の話がどこからか漏れた時、ユリウスの足を引っ張らないと言い切れるか?」
子供を生んだ事がそんなに悪い事なのか。反論したいのに何も言葉にならない。ただ唇を噛み締めた口の中で血の味がした。
「ユリウスには会わず早急に王都を出よ。そして今後は領地から出る事を禁ずる。この件はサンチェス伯爵にもすでに通してあるが、“誠意”を見せる為にわざわざ私自らここへ伝えに来たのだよ」
「ユリウス様にはなんとお伝えするのでしょうか」
「お前よりもよい結婚相手を見つけてやったと言うのだ。実はもうベトフォン侯爵とは話を進めてあるからお前は何も心配せずともよい」
レティシアは国王陛下の視線が扉に向くのを見て、言葉が出ないまま部屋を出た。
足が重い。地面を歩いている感覚はなく、悪夢の中を歩いているようだった。
アンナが少し後ろで何かを言っているが今は何も考えられない。もう、何も考えたくなかった。
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