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猫ときどき浮気調査
道端に咲いてる花に勝手に名前をつけて、なんだか機嫌良さげにしてるのが俺の祖父。
赤堀探偵事務所って言う趣味があって。探偵と言う裏設定の元に生きている。現実には探偵ではなくて、ただのミステリー好きのジジイだ。
でも時々、このジジイを揶揄ってるのかマジなのか、
「ミカエルがいなくなったんです。赤い蝶ネクタイの首輪をつけた猫なんです。赤堀さんにしかお願いできなくて。」
なんて、猫探しの依頼が近所の牧子さんから飛び込んでくる。ミカエルは家猫でありながら度々家出をしては家の物置から出てくる。どうやらミカエルは、そこを別荘にしているらしい。
ジジイは、それを知っているのに、捜査は必ず町内を一周するところから始める。なぜなら
「この方が探している感じが出るからな」
だってよ。暇を持て余した年金暮らしのやることなんか理解できない。小一時間、野良猫の集まる公園やら空き地やら魚屋やらを散歩してから物置を開ける。
「さあ、ミカエルお迎えだ。」
ジジイと目があったミカエルは、人懐こく鳴いてジジイに擦り寄ってくる。
「牧子さん、まずはここを疑うべきだった。」
「ありがとうございました。赤堀さん」
牧子さんも、ジジイの茶番に付き合ってる自覚があるのかないのか。ファンタジーを楽しむ余裕がある裕福さが垣間見えて住む世界が違う気がする。
俺はといえば、恥ずかしながら本業で探偵だ。
つい最近までは公務員だった。警察官で交通課にいた。飲酒運転にスピード違反、一時停止違反、ながら運転を徹底的に取り締まる、交通課のエース。だったけど、風邪薬を飲んで居眠り運転、対物で事故を起こして警察を辞めた。
俺はうだつの上がらない探偵って言うのが性に合っていて。元警察官ていう肩書きもなんとなくしっくり来ている。
「善!善!」
「あ?なんだよジジイ」
「美人の客が来たぞ」
「…めんどくせ」
ジジイは、美人がくるとやたら高揚する。ハードボイルドな探偵ドラマの見過ぎだから。現実は事務処理が多くてめんどくせえ。なんなら警察より仕事してんじゃないのかな。ブラックな業界だよ。少年漫画みたいな感じで探偵やれたら楽なんだけど。大事なときに麻酔薬で眠らされて、誰か別のキレっキレのやつに推理とかやってもらいたいんだよな、マジ。
「あの失礼します。」
入ってきたのは、確かに美人な女だった。
「あ、こんにちは。ようこそ。とりあえず、そこのニトリのソファーに座ってください。本当はカリモク買いたいんですけど、金なくてニトリなんです。座り心地も悪くないので。そこそこ良いですよ。そこそこですけど、ご依頼伺う時間くらいなら腰も痛くならないですよ。コーヒー飲みますか?それともコーラですか?今日は暑いですよね?あれ?なんか引いてます?」
女はソファーに座りもせずただ立っている。手元にはパンパンに膨らんだエコバッグ。男が好みそうなミニスカート。ふわふわしたトップス。巻き髪…。ツヤツヤな唇。だけど、目元は貧相。幸薄。これはきっと。
「どうされました?」
「あの、調べていただけますか?」
「まずは座って。」
「夫が浮気してます」
はい、予感的中。浮気調査。
「ま、ま、ま。すわって。コーヒーでもいかがですか。」
「インスタントの不味いコーヒーを飲みに来たわけじゃありません。浮気を浮気の証拠を。」
落ち着けよな。マジ。めんどくせ。
「ま、とりあえず。お話を聞かせてください。」
コーヒーのドリップは丁寧に。イライラを落ち着かせながらお湯を注いでいく。
客が来た時、ジジイは牧子さんとお茶をしている。本業のめんどくささは見ないようにしてるのがミステリー好きのただのジジイらしい。年がら年中、ミカエルの家出捜査をしている方がよっぽど趣味を満喫できるし。まあ、いたらいたで邪魔なんだけど。
コーヒーカップを2つ。テーブルに置いた。
「それで、澤木さんは本当に探偵なんですか?」
今日の俺の風貌といえばアディダスのスウェットズボンに黒いロゴT。無精髭と寝癖のついた髪。足元は裸足にクロックス。清潔感のかけらもないし、仕事のやる気は0に等しいように見えるだろう。
「…ああ、今日はなんていうか休日モードで。」
「お休みだったんですか?失礼しました」
「いや、365日24時間受付なんですけど」
「え?」
「個人事務所なんで、適当に。」
「はあ…」
女性が言葉に詰まるのはいつものこと。俺は目つきも態度も悪いから。婚活パーティーとかも全部こんな調子だ。
「あ、で。いつから浮気かなって?」
「半年くらい前からです。」
「へえー。」
「へえーって。」
「なんで浮気だと思ったの?」
「ファンデーションが、上着に」
「…ふふ。よくあるやつだ。」
「あの。」
「ま、でもそうなる前に予感あったでしょ?例えば、残業っつっていつもより帰り遅かったり、会社に泊まることになったとか言ったり…休日出勤とか、出張なんつって休みの日にでていったり。そんで携帯、風呂にもトイレにも持ってくとか…あと、弁当はいらないとか言い出したり……。そのファンデーションは、まあ、つまり。あれ?引いてます?」
女が俺の顔をじっと見てくるから、若干怖いなって思った。女の執念みたいななんつーか。
「浮気相手からの匂わせだと。そう言いたいんですか?」
「100パーそれでしょうね。強気な浮気相手のようですね。」
女がエコバッグから証拠の品と言わんばかりにジャケットを出して見せてきた。
「ここにファンデーションが。」
「確かに」
「夫は、斎藤忠。45歳。法律事務所の事務員です。弁護士ではありません。夫の浮気を暴いてください。」
でた。めんどくさいやつ。浮気相手は事務所内にいるのか、いないのか。
「あの、ちょっと待ってください。浮気は、暴きますけど、仕事なので。問題は、これから先あなたがどうしたいかです。離婚をお考えなら慰謝料ふんだくるために俺はバズーカみたいなカメラ持って証拠をしこたま抑えますけど。そうじゃなくてってことなら、一旦旦那さんとお話ししてみたらどうです?浮気の話を振った段階で開き直るかもしれませんけど。隠し通してあなたとは円満にしていたいようなら、目をつぶってあげても…。だってほら、これから離婚してあなた1人になってやってけますか?浮気なんて長い人生の中でたいした問題じゃなかったかもって思うこともないわけじゃないですか?ね?あの?……。どうされましたか?大丈夫?」
女はずっと俯いていて、時折、ハンカチで目頭を押さえている。で、上目遣いで睨まれて明らかな涙声で言い放たれた。
「関係ありますか?あなたに。今後の我が家。」
ああ、俺。余計なこと言った。泣かせようなんて思ってないけど。胸の奥が、ざわざわする。
「そういやさ、あなたの名前…聞いてなかったんだけどさ。」
「斎藤萌奈美です。23歳。旧姓は榎本です。」
歳は聞いてねーよ。旧姓も聞いてねーし。旦那と22歳差。なんそれ。自慢?
「へえ。もなちゃん。かわいい名前。」
「あの。」
「ん?」
「軽いですよね、澤木さん。」
いやいや、場を和ませようとしてんだけど。わかんないのかな?俺の気遣い。
「あー。俺、休日モードなんだ。へへ。」
「良い加減にしてください。真面目にやってください。」
「ん?俺、真面目よ。」
「あなた、探偵らしからぬ人ですね。」
「…ふふ。そう?」
自分でいれたコーヒーをひと口啜る。
ああ、俺。やっぱり……喫茶店のマスターにでもなろうかな。
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