追憶の君

　どうせなら、最後に綺麗な物を見てから死のう。首吊り用のロープをリュックに入れ、都会の喧騒とは無縁の場所まで遥々やってきた。
　観光案内雑誌の見開きページに、デカデカと掲載されていた月があまりにも綺麗で、是非ともそれを生で見てみたいと思った。星空が綺麗に輝く空に、まん丸の月が闇夜を照らしている幻想的なショットに心を奪われた。
　できる事なら誰にも邪魔をされたくない。この光景を一人占めした後で、誰にも知られずにひっそりとあの世に行きたい。そう思った僕は、出来うる限り人目を避ける為に深夜の時間を狙って、最終便で目的地の最寄り駅に辿り着ける様に計算をして自宅を出発した。
　勿論、帰りの電車は朝まで出ていないが、もう帰ってくる事はないので、そんな事は構わない。いちいちそんな事に気を割いていたら、あの幻想的な光景がどこかくすんでしまいそうな気がして、僕は雑念の一切を取り払った。
　目的地の最寄駅に着くと、都会では嗅いだ事のない自然の匂いが優しく鼻腔を刺激した。まるで、僕がここに来た事を歓迎してくれているかの様だった。
　そこから目的地までは二十分少々歩く。少し山の谷の方に向かって歩く為、所々、道なき道の様な場所もあったが気にならない。疲れようが仮に怪我をしようが関係ない。どうせ僕は今日、死ぬのだから。