①僕と川内さん

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①僕と川内さん

夜も夜、深夜1時だ。 こんな時間にフラフラ歩いているから 「こんばんは、ちょっと良いですか?」 国家権力の塊みたいな制服と帽子の二人組に囲まれた。 「君は…高校生かな?」 おかしくて、ふっと笑ってしまう。 ワイドな黒いパンツにグレーのちょっと大きめのパーカー、黄色のネックウォーマーにマスク。ツーブロックの黒髪の僕は、背が低いためか幼く見えるらしい。 「お酒飲んでるのかな?」 何も言わないでいるとそんなことを言われる。 「何か、身分証持ってる?」 ポケットにあるお財布から、まねきねこの会員証を出した。 「いやいや、カラオケのカードは身分証じゃないんだよね。学生証とか保険証とかね?」 仕方がなく見せたのは、病院の診察券だ。それは心療内科の受付のカードリーダーに何度も通してすり減って文字が見えない。 「…いや、あのね。うーん。君、日本語わかるかな。」 とてつもなく馬鹿な質問だ。 日本人として義務教育の課程は終了しているし、からかって付き合ってやっているのに。 時間の無駄だから免許証を見せた。 「平成10年…。なんだよ、クソガキじゃん。」 僕から免許証を取りあげて懐中電灯で照らして免許を見ながら言った。 クソガキ。 おもしろい言葉だと思う。 確かにそうかもしれないなって妙に納得する。 ずっと子どもに見られながら、それが居心地いいからそのままにしてきた。 時々連絡をくれる川内さんは、気まぐれに僕と体を交わらせる。好意的なものなのか慈悲的なものなのかはわからないけど。 別れ際には多少のお金をくれて、またねって優しく言う。 お酒の味を教えてくれたのも川内さんで、口に含んだアルコールを僕に注いで、ごめんねって言うから僕はいいえ。って笑って、はい。って受け入れた。 性別や年齢で人を見たことがない。 ただ、嗅覚的なもので人を判断するようなそんな人間でもないからどうやって付き合う人を決めているのかなんて自分でもよくわからない。 ただ、そこに在ると言うことが大切。 「仕事は?」 「道具屋です」 免許証を返すついでに言ってくるから、こっちもついでに冗談を言ってみた。 「ふーん。腐ったパンは食うなよ。」 レベルを999まであげたような顔で言われた。そのあと転職してレベル1からやり直しているんだろうか。 「じゃ、気をつけて。」 深夜1時、音も立てずにパトカーが走り出す。 そういえば、近所でストーカー被害を受けた人がいた。男性で、僕が見るに全くステキじゃないただのおじさんだ。ボサボサと髭を生やして猫背で脂の浮いた顔をしている。 人が人を好きになる真意なんて本当にわからない。 「越智くん、それね、職質って言うんだよ。」 川内さんの誕生日。 川内さんの部屋に呼ばれた僕はKALDIで買ったナッツの詰め合わせをあげた。 ピーナッツと、ピスタチオが好きな川内さんは、これにウイスキーがあれば朝までいけると言うが、僕は朝まで起きているのは嫌だ。 近所のおじさんと同じで髭がある。だけど、なんとなく汚らしくはなかった。僕も髭を生やすならこのようにしようと思うくらい。 「なぜ、僕は職質を受けたのでしょう。」 「…うーん。」 ピーナッツを口に入れながら僕の顔を見る。 「顔が幼いからじゃないかな。」 殻を剥いたピーナッツを僕の口に一粒。 あんまり好きじゃないけど受け入れた。 「おいしい?」 「どうでしょう。…ピーナッツ嫌いなんです。」 「ふふ。知ってる。越智くんはこっちかな。」 子ども騙しの様な個包装のチョコマシュマロを目の前にいつくか出されて手に取った。 「好きでしょう?」 「はい。」 にっこり笑って僕に手を伸ばして頭を撫でる。 頭を撫でられても、嫌な気分にはならない。 「ビールを飲めるからって大人とは限らないからね」 「好きじゃありません。ビールは。」 「うーん。じゃあ、オレンジジュースでも飲む?」 「…そうですね。」 「あったかな。ちょっと待ってて。」 川内さんは40代で。たぶん、成功者の方。 駅から近いタワーマンションはそれなりに街並みを見渡せる。カリモクのソファは、若い時に買ったらしいが傷みがない。なんていうか、物持ちがいい。 あるいは、このソファが傷みにくいのか。 「これでいい?」 トロピカーナのオレンジジュースは僕のためのストックでちょうどいい飲みきりパック。 「ありがとうございます。」 「うん。」 頭をくしゃくしゃに撫でられて、それを渡される。 「性ってなんのために別れたんだろうね。」 「…知りません。」 「ふふ。君は知らないことは知らないね。」 蓋を開けてジュースを飲む。 「お酒は嫌い?」 「…わかりません。」 「俺は?」 「…嫌いじゃありません」 川内さんに、ふっと笑われて、少し悪いような気がしてくる。僕を家に招いて、楽しくお酒を飲み始めたばかりなのに。僕が不機嫌に見えたら申し訳ない。 「あまり遅くなると、また職質されちゃうかな。」 「なんか、ごめんなさい。」 「明日の朝、帰ればいい。」 川内さんには少なからず僕が必要だった。僕にはなんとなくそれがわかっている。 「越智くん、それで良いかい?」 「…はい。」 川内さんと僕は少し変わった出会い方をした。 競馬場が近くにある病院。 心療内科の病棟は5階まであって、1階には鉄格子があり鍵がかけられている。階を上がるごとに症状が軽くなっていく。 僕は軽度の気分障害と診断され5階の隅っこの部屋に連れて来られた。 1日2回の飲み薬はパキシル。ソラナックスは3回。眠るためのレンドルミン。 これだけなら少ない方だと医師は言うから、僕は信じられないと思った。 入院は個室とはいかなくて4人部屋。 隣のベッドにいたのが、川内さんだ。 川内さんは決まって深夜にイヤホンでラジオを聞いていた。 強迫性障害だと言い、乾燥してあかぎれだらけの手を見せられた。 「いたそうですね。」 そう言うと、 「ハンドクリームもワセリンも、全部石鹸で流れてしまうからもう使うのをやめたんだ。」 と言うから 「それなら、きゅうりでも貼ったらどうですか。」 と返した。 「かぶれそうだね。」 って、楽しそうに笑うから 「あるいはレモンを」 と、さらに言うと 「からあげかよ」 って。 二人ともくだらないねって笑いながら、薬でだるい体をベッドに転がして天井を見て1日を過ごした。 「彼女はいるの?」川内さんは社交辞令の様に 「どう思います?」僕はやたら勿体ぶって 「いそう」簡単な嘘当てゲーム。 「そうならいいですが、振られました。お別れってやつです。人生初です。なんか嫌いになったって言われました。」 僕はいなくなった人を少し思い出して、その人は年上で、確かにステキな人だったと、川内さんに話をした。いなくなってから毎日眠れなくて、ご飯も食べたくないし、昨日まで手の中でなんでもできたことが手からするすると落ちていって見ている世界が歪み吐くほどに動けなくなった。 「君の入院はそれが理由?」 「…わかりません。」 「わからないよね、…そうだよな。」 川内さんが僕のベッドにチップスターをぽーいって投げてきて目の前に落ちた。 「それでも食べて元気を出しな」 って。それを見るとコンソメって。 「コンソメ味…嫌いなんです。」 「うっそ。全人類の共通食じゃないの?」 「違うと思います。」 「残念だな。」 「そうですね。」 笑いながら、今度はチョコマシュマロを2つ投げて僕の目の前に落ちる。個包装で小鳥の絵の青く透き通る。 「それはどうかな?」 袋を開けて手に取ると、柔らかくて涙があふれる。口に入れると久しぶりに体に取り入れたいと唾液が溢れる。 「美味しいです。…美味しいです。なんですか、これ。」 「マシュマロだよ。知らないの?」 「…知ってます。」 「ちょっとタバコ吸ってくるね。」 「はい。」 川内さんは僕に生きるように促してくれたのか。 もうひとつのマシュマロも口に入れると体に血が通っていることを思い出した。 目の前にあるグラスは、すっかりお酒がなくなったけど川内さんはお酒を足すことはなかった。
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