演技派

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演技派

 知美は女優志望だった。だから、チャンスをつかもうと有名な演出家の田代の家をアポもなしに訪れたのも、当然といえば当然といえた。  指をくわえていては有名にはなれないのだ。積極的な行動こそ、活路を見いだす。  呼び鈴を押した。度が強い色眼鏡にもじゃもじゃのあごひげ、テレビで見知った田代の顔が現れた。  田代は知美を応接間に通した。そして問いかけた。 「きみは、演技の自信はあるの」 「ええ。演劇学校で三年間、みっちり勉強しました」 「演劇理論は」 「もちろんひととおりは」 「ふうん」田代は知美の頭のてっぺんからつま先まで眺め回す。「顔も、まあ美人だし、演技力がしっかりしていれば売れるかもしれないなあ」 「演技を見てください」ここぞとばかり上体を田代に寄せる知美。「どんな課題でも結構です。先生、私にチャンスを」 「ふうむ」  田代は腕を組んで考える。小考。 「よし。では、お手並み拝見といこうか。この家には女手がない。きみは今から、我が家の家政婦だ。炊事洗濯掃除、そして僕には小学三年生の息子がいるのだが、その相手。それらを有能な家政婦としてこなしてみたまえ。きみの言動から、僕が女優としての可能性を検討してみるよ」  知美はうれしくて叫んだ。勇気を奮って来た甲斐があった。 「お願いします!」  田代は書斎にこもり、台本と格闘を始めた。知美は言われたとおり懸命に仕事をこなす。  掃除はていねいに、洗濯も集中して、そしてあまり自信はなかったが、料理にも真剣に取り組んだ。  そのうち坊やが帰ってきた。 「おねえちゃん、誰」 「私はお手伝いさんよ。今日からなの。よろしくね」 (そうだ。ポイント稼がなきゃ。有能な家政婦なら、お菓子作りぐらいするわよね)  クッキーを焼いてあげよう、知美はそう決めた。  田代は仕事に疲れると庭で坊やと遊んだ。子供好きなのか、実に楽しそうに相手をする。ボール遊びに、鬼ごっこ。  そんな二人に知美はもちろん怠りなく、ジュースとお菓子を用意する。  三日経った。  知美は完璧な家政婦として田代家で機能していた。  田代が観ていてくれている、その思いから、懸命に知美は働いた。  知美が水仕事をしていると、坊やが寄ってきた。 「おねえちゃん」 「なあに」 「僕、いつまで演技を続ければいいの」 「え」知美は戸惑った。「え、演技?」  よくよく訊ねてみると、坊やは劇団の子役で、この家で田代の息子を演じるようにとコーチに言われてきたらしい。いい点をもらえれば、ミュージカルの主役になれるというのだ。 「じゃ、じゃああなた、田代さんが本当のお父さんじゃ」 「ないよ」  知美はショックを受けた。  知美は田代の夜の相手もしていた。鼻息荒く襲ってきた田代は、 「家政婦が主人と寝るなんて、世間では当たり前のことだぞ。そこもクリアしなきゃならない。それも演技の点数に影響する」  と、知美を手込めにしたのだ。  知美は田代の心中がわからなくなった。田代はどういうつもりなのだろう。偽りの息子と偽りの家政婦をもてあそび、ただ愉しんでいるだけなのかもしれない。  知美の頭に血がのぼった。くらくらした。田代の部屋を勢いよくノックする。  田代は驚いた顔。 「どうしたんだ」 「先生、どういうことですか。坊やも演技だなんて。私のこと、まじめに取り組んでくれているんですか。夜の相手までさせて。それにもう、三日も経つんですよ。このままずるずると利用する心づもりですか。家のことを全部やらせて、どうなんですか。答えて」  知美はすごい剣幕でそう問い詰めた。  田代は頭をぼりぼりかいた。そして、もじゃもじゃのひげに手を掛けたかと思うと、ばりばりとひげをむしった。  付けひげだったのだ。 「弱ったなあ」  苦笑した。 「僕も、田代さんに、田代さんになりきる演技をしてろ、って言われてるだけなんですよ」
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