出原 祥、恋人の浮気相手に迫られる。

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出原 祥、恋人の浮気相手に迫られる。

「伊藤君は幾つなの?学生かな。」 「20歳です。明央大2年です。」 「そうなんだ。それでこの家事スキルって凄いね。」 食卓があまりに和やか過ぎて、まるで後輩か中高生の従兄弟達を相手にしているかのような錯覚に陥っていたけど…伊藤君って馴れ合っちゃいけない関係性の子なんだっけ?と、食後のお茶を入れながら思い出す。 ウチには湯呑みなんて素敵アイテムは無いからマグカップなんだけど…伊藤君には七居のマグでいっかな。洗ってあるしいいよな。僕ん家は基本的に人が来る事が無いから余分なカップが無い。冷用のグラスなら幾つかあるんだけど…。 「はい、どうぞ。」 熱い緑茶を入れた七居のマグを伊藤君の前に置くと、ありがとうございますと小さく頭を下げられた。 何か普通に良い子だな。 「…それで、話ってのは…。」 椅子に掛け直して、お茶が飲める温度迄冷めるのを待つ為にマグカップを置いた手前で手を組んでから、伊藤君に問いかけた。 伊藤君は少しテーブルの上のマグカップに視線を注いでいたけれど、意を決したように真っ直ぐな目でこちらを見た。 「単刀直入に言います。 俺、貴方に惚れました。一目惚れです。」 「は…。」 一気に言われて、つい伊藤君を見つめてしまう。 えーと、つまり…やっぱり彼も七居の他の相手達と同じような小細工をしに来たって事か。 僕ってそんなに虚偽の告白に引っかかり易いタイプに見えるのか。確かにモテないが、別にモテたいとも思ってないぞ。 でも思った事をそのまま言うのも大人気無いから、一応は返事をする。 「…それは、ありがとう。でも僕は…、」 「七居さんと長く付き合ってるってのは聞きました。」 「そう…。」 そうだよな。鉢合わせた日に、七居は毎度お馴染みの調子で僕の事を恋人だと言っていた。その事について、その後もまた聞いたんだろう。 「…それなのに?」 「恋人のいる人に告白しちゃいけないなんて法律、無いじゃないですか。」 「それは、まあ…そうだね?」 でも大抵トラブルになるだろうし、人の恋路を邪魔する奴は何とやらとも言うくらいだから、一般的には避ける事なんじゃないかと思うが。でもこの子は七居が好きで、彼から僕を引き剥がしたいだけなんだろうし、そんな相手にその辺を説くのは余計なお世話なのかもしれないな。 そう思った僕は、もう黙って聞く事にした。 言うだけ言わせてみよう。 どうせ会うのは今日限り。最終的に僕が言う言葉は決まっているんだ。 ふぅ、と小さく息を吐いて手元のマグカップに目を落とす。さて、茶は少しは冷めただろうか、と取っ手を握って持ち上げた。まだ湯気は立ってるけど、吹いて冷ませばいけるか? ふぅふぅと息を吹き掛けて、怖々と一口。熱。まだ駄目だった。 クスッと笑う気配がした。マグカップを置き視線を上げると、穏やかに微笑んでいる伊藤君。 「サチさん、猫舌なんですか?…可愛いです。」 「…。」 可愛い。 歳下にこんな事を言われて、何と返答したら良いのか困る。 猫舌はあってるが、可愛いなんて言われたのは七居に言われた以来だ。 と言うか、猫舌は可愛いというより不便だよ。 でも伊藤君は恋敵の立場である僕に、何故そんな穏やかな表情を向けるんだろうか。 何だか…これ迄の人達とは勝手が違って、どうにも居心地が悪い。 「…あのね、伊藤君。 僕にそんなちょっかい掛けるより、七居に直接言えば良いと思うよ。」 僕がそう言うと、伊藤君は不思議そうに首を傾げた。 「七居さんに?何をですか?」 「僕に、七居と別れて欲しいんでしょ? それなら本人に、僕と別れて君と付き合うように言ったら?」 そして君の熱意で七居をガッチリ捕まえてくれないか。 七居が僕と別れるというのなら、僕に異存はない。今迄だって七居が別れるとは言わずに一定期間出て行っては再び舞い戻って来てしまうからダラダラ続いているだけで。彼が本気で決別を決めてくれるなら、僕はスペアキーも返して貰って、完全に七居との関係を精算出来るのだ。 セックスしてる時には好きだ何だと言われるけれど、最中のそんな言葉が気分を盛り上げる為だという事くらいは、色事に疎い僕でも知っている。 七居のような人間が僕のような地味な陰キャヲタクを本気で好きになる筈が無いと、高2のあの日からわかってる。 その証拠が伊藤君達のような、数え切れない数の浮気相手達だ。もう、どれだけの数いたのかも覚えてない。 正直、何故七居が僕との交際を解消したがらないのかもわからない。もしかして七居にとって僕は、都合の良い港みたいなものになってしまっているのだろうか。だとしたら、惰性で居心地の良い場所にされるの、困るなあ。 僕は小さく溜息を吐いて目を伏せた。 「…サチさんが何を勘違いされてるのかわかりませんけど、」 そう言った伊藤君の声のトーンがさっきより低くて、僕は少しドキリとした。 「俺が付き合いたいのは、貴方です。」 真剣な声に僕は少し混乱する。 「だから、そういう小細工とかは…、」 「俺、恋愛にそんな小細工しないんで。」 「恋愛…?」 「もう見られてるんで今更隠すつもりは無いですけど…ごめんなさい。確かに七居さんとはセフレです。最近知り合いました。」 「セフレ…。」 曲がりなりにも人の恋人をセフレと言い切るメンタル凄いな。でも、あの七居の事をそんな風に言う人って初めてかも。 「…七居の事、好きじゃないの?」 僕は聞いてみた。だってあの七居だよ?綺麗で、皆が欲しがってる男だ。高校時代からずっと、彼と付き合いたい人間は絶えなかった。僕が七居の恋人に収まってから、そんな人達に何度嫌味を言われたかわからない。僕の体格が良かったからか、廊下ですれ違いざまに言われる程度だったけど、もし僕がもっと小柄だったりしたら実害が出てたかもしれない。 それくらいには、僕は嫉妬を買っていた。 多分、それは今だって変わらない筈なのに。 「好きですよ。でも、比べ物にならないくらいサチさんが好きなだけです。」 伊藤君はそう言いながら、僕から目を離さない。 「七居さんは綺麗な人です。でもサチさんはもっと綺麗だ。」 「…は?」 伊藤君の口から飛び出した言葉に、思わずそんな声が出た。 何言ってんだ、この子? 「何言ってんの、伊藤君?」 あ、そのまま出ちゃった。 僕が綺麗? 小さい頃から祖母に、『可哀想に。』って言われ続けた僕が? 髪も黒くなくて、目も黒くない僕を、一緒に暮らしてた父方の祖母は何時も溜息を吐きながら哀れんだ。僕は父が外国に留学中に、現地の女性に産ませた子供だったからだ。 僕の母は僕を産んで姿を消して、未だ学生だった父は赤ん坊の僕を抱えて、1人ではどうにも出来なくなって帰国した。 祖母は父の育児をサポートして僕を育ててはくれたし優しかったけれど、僕に言ったんだ。 『変な色の髪ねえ。妙な色の目ねえ。異国の女から産まれたばっかりに、こんな姿になっちゃって。可哀想に。』 物心ついた時から祖母が病気で亡くなる中学生の頃まで、呪文のように執拗に。 祖母は至極内向的且つ、身内には支配的な人だった。時代錯誤な程に日本最高という思想だった祖母は、父が留学する際にも、 『外国なんて…。』 と、最後までごねて良い顔はしなかったらしい。そして祖母の支配下から抜けて自分の知らないところで父が作ってしまった子供である僕の存在を、ずっと恥じていた。人付き合いもしたがらない人だったから、僕が自分の親戚達とまともに顔を合わせたのも、祖母の葬儀の時が初めてだったくらいだ。なお、僕の事で負い目を感じていた父は祖母に強くは出られず、祖父は空気だったという事を記しておく。 そんな祖母の影響か、僕も内向的に育ってしまい、2次元以外には興味を持たない子供になってしまった。 それは成長した今でもそう変わらない。 リアルの人間達と付き合うより、画面の中のキャラクター達を見ている方が気が楽だ。 少なくとも彼らは、細かな言葉の刃や哀れみで僕を傷つけ否定したりはしない。 グダグダと長くなったが、つまり何が言いたいかと言うと。僕は自分の見た目が美しくはないという事を承知している、と言う事だ。 そんな僕が、綺麗だなんて。 僕は苦笑してしまった。 「そういうお世辞は良いよ。七居と釣り合ってない事くらい、百も承知だし。」 そう言ったら、伊藤君の目がびっくりしたように見開かれる。なんかその表情、よく見るなあ。 「いや、何言ってんですか?」 言いながら立ち上がって、僕の席の横に来た伊藤君に肩に手を置かれてちょっとビクつく。な、何? 「そんな…そんな大天使みたいな顔と体しといて…。」 「だ、大天使??」 可愛い子とか綺麗な人に天使のような、って形容はよく見聞きするけど、大天使のようなってのはあまり聞かないなあ…と、驚き半分で伊藤君を見つめる。 やっぱり変わった感性の子だ。 「好きです。顔で一目惚れしたけど、今日こうして一緒に過ごしてみたら、中身は可愛い人だってわかりました。」 「え、えぇ~…、」 肩を掴んだまま、顔を近づけてくる伊藤君に、何となく胸がザワッとする。 「好きです。俺、貴方と付き合いたい。サチさんのそばに居たいです。 2番目でも良いから、俺も恋人にしてくれませんか。」 「は、はぁ…?」 背中に伊藤君の片腕が回り、顔同士の距離が無くなっていく事に焦る。 2番目…2番目でも良いって、どういう意味だ??! そんな事言ってきた人、今迄居なかった。 この子、どういうつもりなんだ? ぐるぐると考えている内に、僕は唇を奪われてしまった。 「ん、んぅ…ッ」 体を拘束する彼の力は強くて、座ったままの僕は抜け出す事が出来ない。 彼の胸を押し返すけれど、力を込めてみてもびくともしない。 七居とは違う、情熱的過ぎるキス。 どうしたら良いものか困惑していると、とても聞き慣れた声が鋭く耳を打った。 「何してんの?」 ああ、面倒臭い事になった気がする。
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