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1.夜の手前
大型のミニバンは五人乗っても余裕の広さだった。
8月に入り暑さは一段と激しさを増し、熱中症アラートがもう何日も続いている。だが窓ガラス一枚隔てた車内はまるで別世界だった。普通は学生が持てる部類ではないこの高級車は、乗る者に快適な空間を提供している。
孝明は小さくため息をつくとドアに肘をかけ、薄暮の高速道路を眺めた。上り車線の渋滞を横目にミニバンは下りを快調に飛ばしていた。
車内はさっきからテレビドラマの話で盛り上がっている。タイトルしか知らない孝明は会話に参加しなかった。
よく考えてみれば、出発してからほとんどしゃべっていない。
俺、そのドラマ観たことないんだ。そう言って会話に飛び込んだら、女性二人はどういう反応するだろう。孝明はそんなことを考えた。
「あ、わたしこの歌だいすき」
孝明の隣に座っている香奈が話題をひっくり返した。
「ね、いいよね。俺もこの歌好き」陽樹が三列目から身を乗り出し、香奈に顔を近づけた。
「うん、最近のなかでは一番好きだなあ」
それを聞いた晃太はハンドルから片手を離し、音楽のボリュームを上げた。
孝明はこの曲のアーティストを思い出そうとした。
陽樹の横に座る柚衣もシートから体を起こして陽樹と肩を並べた。
「ねえねえ、この車のステレオ、とってもいい音がするね」柚衣が言った。
「お前の車、褒められてるぞ」陽樹が運転席の晃太に言った。
「まあ、いろいろこだわりはあるよ」晃太はルームミラーを通して柚衣に答えた。
「へえ」柚衣は大きな目をさらに大きくした。そしてすぐ横の陽樹に向かって言った。「高い車なのかな、これ? そういえば座り心地もいい気がする」
前に集中しつつも柚衣が気になって仕方がない晃太を、孝明は真後ろからじっと見つめた。
陽樹が柚衣の耳元で言った。「あいつ金持ってるからさ」
柚衣は両手で口を覆った。「じゃあやっぱり高い車なんだね」
「そう。すっごい高いらしいぜ」
「車ってさあ」晃太はステレオに負けないよう大きな声で言った。「俺にとっては自由の証なわけ。つまりさ、どこにでも行ける翼って言うの? それだけの価値があるってこと」
すると今度は香奈が身を乗り出し、運転席の晃太に近づいた。
「そうなの? 晃太君の家はお金持ちってこと?」
「別に違うよ」
「なあんだ、ボンボンかあ」香奈はからかうように笑った。
「違うって」
「そうかなあ。欲しいものはすべて手に入れるぜ、って顔してるんですけど」
「どこかだよ」
「それで? 次は何が欲しいわけ?」
「欲しいもの。そうだなあ」晃太は大きく唸ったあと、香奈の顔をちらりと横目で見た。「助手席で話し相手になってくれる子かな」
そう言って車内で唯一空席となっている助手席を指した。
「そっかそっか。じゃあ、どこかでシャッフルだね」
香奈は明るい口調で言った。そして背もたれに戻ると同時に、今度は勢いよく孝明に顔を向けた。
「元気してる?」
「そういえば孝明君は無口なのね」陽樹としゃべっていた柚衣も孝明を見て言った。
「こいつはクールだからさ」陽樹が答えた。
柚衣はすぐに陽樹へ視線を戻した。
「そっか、クールなんだ。だけどちょっと怖い感じがするかも」
孝明は何も答えなかった。
するとそこに晃太が割って入ってきた。
「バレてしまったか。実はこいつ、大学生とは仮の姿、本職は闇の世界に生きるヒットマンなんだ」
柚衣は目をパチパチさせた。「えっ、やだ、そうなの」
「うん。何とかサーティーンみたいなやつ。だから無口なんだよ」
柚衣は目を丸くして孝明の後ろ姿を見つめた。陽樹はその横顔を見ながら何か言いたそうな顔をしていた。
「柚衣ちゃんの会社にはいない? そういう人」晃太が言った。
「え、いない、と思う」
孝明は窓の外に視線を向けたまま深く息を吐いた。
「へえ、殺し屋ねえ」香奈が大袈裟に腕を組みながら言った。「それで武器は何を使うの? 拳銃? ナイフ?」
「ハリセン」
「アホくさ」
「香奈ちゃんの会社にはいない?」
「いるか!」
晃太と香奈、それに陽樹も一緒になって笑った。
柚衣は「え? なに?」とキョロキョロし始めた。「もしかして、嘘?」
「当たり前だろ」と陽樹が言うと、柚衣は「もう」と肩を落とした。
「ねえねえ、タッくん」香奈が孝明に言った。
孝明は一瞬、それが自分のことだと気づかなかった。今日会ったばかりの女性からそんな風に呼ばれるなど想像もしていなかった。
「俺?」
香奈は頷くと孝明に詰め寄ってきた。孝明は思わず腕をこわばらせた。
「タッくんはこの歌すき?」
香奈と目が合った。だがすぐに口元へ視線を落とした。
間近から見つめられることに耐えられなかった。
「それほどでもないかな」
「ふうん、そっか」香奈は頷いた。
「孝明、どうしたどうした」と運転席から。
「ほら、たまには話を膨らませろよ」と三列目から。
二人の学友は笑ったが、別に腹も立たなかった
香奈が孝明の膝を軽く叩いた。
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