四万城 雷斗の屋敷

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四万城 雷斗の屋敷

 晴幸が出て行って十分も経たぬ間に夕空はどんより雨雲に覆われ、書斎の窓を叩く風も激しさを益し、一際大きな風の音に雷斗が視線を小窓へ当てると、視線を待ち受けたようにパラパラと雨粒が窓を叩いた。    椅子から立ち上がり、女中の美代(みよ)を呼び付けた雷斗は、未だ戻らぬ晴幸が傘を持って出たのかを尋ねた。   「さぁ……どうでご座いましたでしょうかねぇ? 随分と慌てて、割烹着も脱がずに飛び出して行きましたから」  語尾を笑いで暈した美代は、   「先生が珍しく声を荒げて、かなり驚いた様子でしたからねぇ──今頃雨に打たれてトボトボ歩きながら、『あぁ──先生は、僕を嫌いになったんだ』とか何とか消沈(しょげ)かえって戻るに戻れないんじゃありませんの?」  言葉を続け、手厳しく揶揄を絡める美代を忌々し気に睨んだ雷斗は子どものように口唇を窄め、   「私が悪いと言うのか?」  不満露わに美代を瞶めた。涼しい顔で受け流した美代は、   「いいえぇ。滅相もございません。先生はこの屋敷の法律でございますでしょ。あたしらが先生に意見出来るわきゃあございません。晴坊は自分が只悪いとそればかりでございましょう」  意味深な眼差しを雷斗に向けた。美代が臆面もなく向けて来る軽い嫌味(ジャブ)に雷斗の胸が痛んだ。   「──八つ当たりを……してしまった」 「──明らかにそうでございましょうねぇ」  胸の内を漏らした雷斗へ鼻に皺を寄せ、幼子を窘めるよう『めっ──』と睨んだ美代は毅然と雷斗の顔を見据えた。   「先生、執筆が捗らないのを晴坊に当たるのは見苦しくございます。あれではあんまり晴坊が可哀想ですよ」  明け透けに物を言う美代へ雷斗がうんざりと視線を流すと、   「傘の無いだろう晴坊を、迎えに行くのは美代でございますか?」  美代は小首を傾げ、細く整えた眉を吊り上げジロリ──と雷斗を睨んだ。 自分に注目した雷斗の視線を誘い、柱時計で時刻を確認させると、   「迎えに出るに程よい時刻でございましょう。こうして只気を揉んでいても、晴坊には伝わりませんでしょう?」  言葉を重ねる毎に険しさを増す美代の視線から、顔を背向けて立ち上がった雷斗は、   「もし行き違ったらここで待てと伝えてくれ」  美代に言い残すと落ち着いた体を装ったまま部屋を出た。   「はいはい。どうぞ、お気を付けて──」  やれやれと言った具合に了解を返し、机上の湯吞み茶碗を片付けながら頬を緩めた美代は、ドタドタと床を鳴らして走る足音に呆れたように顔を振った。
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