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出会いの思い出
重い足取りで屋敷へ戻る道すがら、晴幸は一刻も早く戻らねばと思うも、未だ店を開いている書店へ誘われるように立ち入っていた。
川端 康成に夏目 漱石──名立たる文豪の書籍の中に、四万城 雷斗の名を見付け、眩しさにジワリと晴幸の目頭が熱くなる。
若手で未だ決して多くは無い作品数だが、その数冊の中に晴幸が初めて雷斗を知った『菩薩無情』があった。猟奇殺人を扱ったホラー作品だが、若齢の晴幸でもストーリーの根底にある深い母性に心を打たれ、幾度も涙し、殺人鬼である登場人物に重ねた憐憫は、雷斗独特な描写の細やかさ故のものだった。朝な夕な時間を見つけては読み耽り、大切に読んではいたが、製本が崩れ頁が剝がれるほどで、二冊目を欲しいと思っていた時、毎月購読している文芸雑誌の懸賞で、四万城 雷斗の署名入り『菩薩無情』に当選した。
「──運命のようなものを感じた」
今迄考えもせず来たが、晴幸は雷斗に感想を宛てて見ようと思った。勿論、返事など期待するものでは無く、筆の向くままの読書感想だ。追記のようにこの『菩薩無情』が二冊目であること付けも加えた。
自己満足に終結したファンレターを書いたことなど疾うに忘れ、数ヶ月ほど過ごしていた晴幸に、四万城 雷斗からの返信が来たのだ。無論、出版社を通してのものだが。
それを機に雑誌の連載を読む毎に感想文を宛て、それに返信を貰う関係が構築され何時しか晴幸は雷斗の書生となっていた。
初めて屋敷を訪れ、雷斗の笑顔に迎えられた時の感動は今も晴幸の胸を熱く揺さぶる──思わず口唇から漏れた感嘆のため息。重厚な書棚を背に机に着いた雷斗は、まるで白い薔薇の花のような、涼やかで高潔な輝くばかりの美しさだった。
(多分、自分の頬は赤く染まっていたと思う)
今正に、ほんのり染めた頬の熱さを意識しながら、棚の『菩薩無情』へ手を伸ばした晴幸は、不意に肩をポン──と叩かれ、驚いて振り向いた。
「やはり、雷斗の所の晴幸ではないか?」
頭一つ半も高い場所から晴幸を見下ろすその男は、桐ケ谷 悠聖、麗しく整った、西洋人を彷彿とさせる美貌も注目の若手作家だった。四万城 雷斗と言えば、桐ケ谷 悠聖と引き合いに出るほどの好敵手だ。
「お使いか?」
棚に伸ばした形で固まった晴幸の手先を弾いた悠聖は、小さな手の掌を棚の一段上へ追い遣るとニヤリ──と嗤った。
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