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本編
【明】
「ありがとうございました、またお越しくださいませ」
レシートを渡しながら、そういってお客様に一礼する。
その会計が終わると同時に、店の奥にある時計は午後1時を指す。
退勤時間だ。
そのままレジ内や外のゴミ箱にたまったゴミを回収して裏のゴミ置き場に捨てる。
すべての業務を終わらせて、1時からシフトの人に引継ぎをして、俺はタイムカードを押す。
「内藤 明」(ないとう あきら)
そう手書きで俺の名前が書かれたタイムカードを見つめながら、少しだけ余韻に浸る。
今日も、労働をした。
今日もまた、アルバイトが終わった。
そんな小さな達成感を胸に、「お疲れ様でした」と挨拶をして、バックヤードを後にした。
店を出ると、駐車場の片隅で読書をしている人がいた。
人がいたと言っても、知らない人じゃない。
ヤツの名前は高橋 悠(たかはし はるか)幼馴染。
3歳のころから親友で、同じ小中学校、高校も同じ学校だった。
悠は、小さなときから友達が少ない。
俺は、その少ない友達の一人なのだが、悠が嫌われる理由もなんとなく、わかったりしてしまう。
腰の辺りまで伸ばした長い黒髪。
大きめのコートからは少し分かりにくいが、細くて華奢な体つきをしている。
顔つきもどちらかといば、大きなパッチリとした目。
細くて弧を描く眉、小さな鼻、薄い唇など、女性を思わせる外見をしている。
言い方を変えれば、外見からは「女性である」としか認識できない。
それが、悠の外見的特長である。
今、こうやって好きな本を熟読している悠を見れば、どこにでもいる、本の好きな女の子のように見える。
しかし、神様と言うのはイタズラ好きで、皮肉にも悠に与えられたのは「男」と言う性別だった。
そんなことを考えながら一歩、悠に近づく。
その足音に気がついたのか、悠が俺に気がついて声をかけてくる。
【悠】
「お疲れ、もぉ、終わったんなら一声かけてよ」
【明】
「いやぁ、あまりにも真剣に読んでたからさ」
【悠】
「別に気にしなくて良いよ、何回も読んでる本だし」
【明】
「そうか、なに読んでたんだ?」
そうきくと、悠はあえて題名は言わず。
【悠】
「恥の多い、人生を歩んできました」
そうつぶやく。
あまり、そう言う本には詳しくないけれど。
悠がよくその本の話をしているのを覚えていた。
【明】
「太宰治か」
【悠】
「当たり~」
悠は上機嫌に笑っていた。
笑いながら、本をバッグにしまいはじめる。
こうやって少し話しても気がつくのだが、悠の声は、男性には聞こえなかったりする。
どちらかと言えば声が低めの女性の声である。
こんな悠が何故他の人間に嫌われるのか?
その歴史は意外に古かったりする。
一番古いのは小学校での入学式でスカートをはいてきたり。
中学、高校と女子の制服で登校したりなど、さまざまなことがある。
自分は小さなときから悠がそういう人物であることは知っているし。
悠の両親にも、悠はそういう性格である事を小さなときから説明されて育ってきた。
だから俺自身には偏見もなかった。
男がそんな服装をしているからと言って、差別する対象にもならなかった。
そんな接し方が幸いだったのか。
それとも災難だったのか。
同性には差別され、異性である女子にですら女性と見られない悠は小さなときから。
ずっと俺と一緒だった。
男になる気は本人にはなく。
女性になろうとしても、それは、遠い道のり。
二人そろって思春期を向かえ。
俺には何気ない声変わり、男性ホルモンがたくさん出ることで起こる。
筋肉増強や、体が大きくなっていくことに何も抵抗はなかった。
しかし悠は違った。
声が低くなることも嫌っていたし。
自分の体が男らしくなることを阻止していた。
だから無理なダイエットをしていたのも知っているし。
見た目には、普通の女子以上に気を使っているのも知っている。
アルバイトしてためたお金もほとんど美容関係に使っている。
そんな姿を知っているだけに、差別するわけにも行かない。
そう思って過ごしてきた。
悠は、小さなときから幼馴染であり、悪友であり。
いつでもつるんでいる。
そんなヤツだ。
【悠】
「明、そう言えばこの前、雑誌で読んだんだけど、ビタミンって言うのはミネラルと一緒に摂ると体に吸収されやすいんだって」
【明】
「へぇ、それってどんな効果があるんだ」
【悠】
「お肌がキレイになるんだよ」
【明】
「悠にとっては画期的な情報じゃないか」
【悠】
「だよね、ビタミンとかは果物に入ってるイメージがあるけど、ミネラルって何に入ってるんだろう?」
【明】
「ミネラルウォーターってよく聞くし、水に多く入ってるんじゃない?」
【悠】
「そっか、ミネラルウォーターかぁ、果物とミネラルウォーターを一緒に摂ればお肌がすべすべに」
【明】
「なんだか嬉しそうだな」
【悠】
「うんっ」
そんな上機嫌な悠を見つつ。
一緒に帰り道を歩いていく。
悠を見ていると毎日不思議になることがある。
悠はまた、何か恋心を隠しているんじゃないか?
俺も。悠も今年で成人して何年かになる。
お互いそろそろいい大人だし。
異性に興味がまったく無い年頃でもない。
俺はといえば、小さな頃から、恋愛沙汰に巻き込まれたことが無い。
正確には、女子と関係が進展したことが無い、だろうか。
女友達はできたりする。
でも、それ以上の関係にはならなかったりする。
不思議なもので、今まで誰かを好きになったりとか、告白しよう。
そんな気分を一度も味わうことなく大きくなってきた。
一方、悠の方は、さまざまな災難に巻き込まれて生きている。
小さなときから男の子に恋心を抱いては、自分の中で押し殺す。
高校のときには、悠を男だと知らなかったヤツにラブレターをもらったのだが。
そいつは悠が男であることがわかった瞬間、かなりしょげたらしい。
社会人になり。
俺と同じコンビニで働くようになってから。
常連客のおじさんなどが、くどいているのを何回か見たことがある。
コンビニの中で、『たかはし』とネームプレートをつけているこの女にしか見えない店員は。
実は男である。
そんな事実は店のメンバーくらいしか知らない。
悠との静かな時間。
信号待ちの間にできた、沈黙。
【明】
「なぁ、悠」
思い切って声をかけてみる。
【悠】
「なぁに?」
【明】
「最近は恋してるか?」
【悠】
「どしたの?急に?」
【明】
「最近そう言う話を聞かないなって思ってさ」
【悠】
「最近はバイトバイトで忙しいからな」
【明】
「そっか、また何かあったら相談してくれよ、悠のためになればなってそう思うからさ」
【悠】
「うんっ、って、そんなこと言って明がボクに恋の相談をしたいんじゃないの?」
【明】
「いや、そんなことは無いよ、俺も最近バイトのことしか考えてないしね」
【悠】
「ふぅん、明はほんとに、小さいときから奥手だよね」
【明】
「そんなこと無いぞ、好きな女の子ができたときはまずは恋文から」
【悠】
「ふふふ……恋文とか古いよ」
俺の冗談を聞きながらクスクスと笑う悠。
なんだかその様子を見ているとどこと無く安心してしまう。
それはなぜか?
悠は恋で悩んでいるときはもっと暗い反応しかできないからだ。
この様子だと間違いなく、何か気に病んでいるようなことはなさそうだった。
【悠】
「でも、もう高校を卒業して4年以上経つんだよね」
【明】
「そうだな」
【悠】
「そうそう、同じクラスだった葉月さん、覚えてる?」
【明】
「ああ、陸上部だった?」
【悠】
「そう、蒼い弾丸なんて異名をとった葉月ちゃん」
【明】
「たしか県の新記録出したんだよな葉月さん」
【悠】
「そうそう、その葉月ちゃん、このまえ写メもらったの」
【明】
「写メ?」
【悠】
「これ」
悠はそういいながら携帯電話を俺に見せてきた。
そこには生まれて間もない赤ん坊が写っていた。
【明】
「これ?葉月の子?」
【悠】
「うん、女の子なんだって、それでね」
悠はうれしそうに色々話していた。
この女の子の名前は自分が考えたとか。
葉月がいい人と結婚してよかったとか。
自分たちと同い年なのにもう母親になっちゃうなんてすごいよね。
みたいな事を目を輝かせながらひとしきり語った後で、悠が聞いてくる。
【悠】
「明はどんな子が欲しい?男の子?女の子?」
【明】
「どんな子なぁ?今は全然そういうの実感わかない感じだけどな」
【悠】
「明なら女の子の方がかわいがりそう」
【明】
「おいおい、勝手に決めるなよ、息子とキャッチボールしてるかもしれないだろ?」
【悠】
「なら、男の子の方がいい?」
【明】
「どっちが良いとかは言えないけど、どちらかといえば生まれてきた子供に合わせたいなって、俺はそう思うかな」
【悠】
「明らしいよね、優しいお父さんになれそうだ」
【明】
「さぁな、そればかりはさ子供が生まれてみないと分からないからな」
【悠】
「そうだね」
悠はどんな子が欲しいんだ?
そう聞き返そうとして、言葉を止めた自分がいた。
不意にそう聞かれた悠はどんな気持ちになるんだろう。
そんなの言わなくたって分かってしまう気がした。
悠は自分が男と言う性別であることにずっとコンプレックスを持っているし。
そういう状態を知っているのに、そう聞いてしまうのはとても残酷な気がして仕方なかった。
【悠】
「だめだなぁ~明はやっぱり欲が無いんだよ」
【明】
「そっかな?俺はそうは思わないけどね」
【悠】
「ほらもっと、年頃の男の子だったら、女の子にモテようとか、今度はあの娘をデートに誘うぞ、なんて意気込みが無いと」
【明】
「そっか、そういえば最近そういうことはあんまり考えないようにしてたな」
【悠】
「ほらぁ、それがダメなんだよ、女の子ってのは少し強引に誘われるくらいがいいんだと思うよ」
【明】
「全員がそうとも限らんだろう」
【悠】
「それはそうだけど、誘われないよりは絶対に誘われたほうがうれしいに決まってるよ」
【明】
「それもそうかって、悠は俺をどうする気なんだ?」
【悠】
「早く明の赤ちゃんが見たいってそれだけ」
【明】
「彼女ですらいないのに、それは無理って話だろ?」
【悠】
「それもそっか、でも、なんだか葉月ちゃんの赤ちゃん見てたらすんごくかわいくてさ」
【明】
「だから身近な俺にも早く赤ちゃんを作れと」
【悠】
「うんっ」
悠には特に何も悪意は無く、ただ悠の欲求に基づいてその返事が返ってくる。
こういったところをじっくりみていると。
悠に男と言う性別を与えた神様ってやつは腐っているんだろうとそう感じてしまう。
男が子供に対する庇護本能を母性本能というのもおかしいかもしれないが。
どうみても母性本能丸出しで赤ちゃんがかわいい。
そういっているようにしか見えなかった。
悠に赤ちゃんが産む事はできないが。
いつか悠のこと理解してくれて、楽しい時間を過ごしてあげられる。
そんなすばらしい彼氏ができることだけはこっそり願っていた。
長年、いつも一緒に過ごしてきた幼馴染として。
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