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翌朝、10時過ぎにのっそりと起きてくると事務所に客が来ていた。
びちっと整髪料で固めた短髪に、嫌らしい細い目つき。出入りの美術商だ。
我が家は贋作屋ではあるが、表向きには『絵画研究所』という体をとっている。持ち込まれた作品を科学的に分析したり、または真贋鑑定のための情報を提供するのだ。
そりゃ、腕は確かだろう。何しろ贋作のプロがそういう眼で検査するんだから。
そのため、事務室の奥にある分析室には蛍光X線分光機や赤外線カメラだの、果てはヘッドスペースサンプラーという試料に含まれる元素を解析するデカい機械まで置いてある。
無論、それらは正規の利用とは別に『購入された本来の目的』に使用されるわけではあるが。
「やぁやぁ聞いたよ」
私を見つけて、美術商の男が下卑た笑いを垂れ流す。
「僕が依頼した『葛飾北斎』……君が担当するそうだね。てっきり君は油絵専門かと思っていたけど?」
侮蔑の眼差し。『お前なんぞに北斎が描けるのか?』という嘲笑。不安どころか不可能だとハナから決めて掛かってやがる。まったく、気に食わねぇ野郎だぜ。
「……自分でやりたいって手ぇ上げた訳じゃないよ。ま、やるだけやってみるけどさ」
売り言葉に買い言葉とは言うが、思わず『やる』と言っちまった。……ちくしょう、上手く乗せられたか?
「ほほほ……左様ですか。そりゃ楽しみですな。何しろ君のお父さんは超一流、この世界のビッグネームだ。君にそのDNAがどの程度受け継がれているのか知らないが、御父上の名前を傷つけぬよう、ぜいぜい頑張ってくれたまえ」
そう言い残し、くるりとターンして男は帰っていった。
「……」
腹ただしい気持ちを抱えたまま、とりあえず私は身支度をして学校へと向かう。
分かっているんだ、親父と私ではその腕に圧倒的な差があることを。
親父が完成させた『贋作』は、真作を隣においてもどっちが本物なのか私でも全く見分けがつかない。
単にタッチや画材だけの問題ではない。それこそ本人がそのまま描いたとしか思えないほどの迫力に満ちている。
私もこの4年間みっちりと指導を受けて腕を上げたつもりだが、まだまだ『あの域』には到底到達出来ない。それは自分が一番よく知っている。鍛えれば鍛えるほど遠くなっていく小さな背中。
学校の制作室で今日も今日とて腕組みをしながら純白のカンバスとにらめっこしていると、担当の助教がやってきた。
「まだ、テーマが決まっていないのかい?」
ああ、大きなお世話だ。
「自分の『想い』をぶつけてみればいいと思うよ。好きなままにさ」
『好き』か。またそうやってハードルを上げやがる。
以前に『心をときめかせる異性の顔を描きなさい』というテーマで皆んながアイドルだの推しキャラだのを描く中、ひとり『福沢諭吉』の顔を描いて馬鹿者と怒られた私にはその方が難しいんだよ。
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