それぞれの仕事

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それぞれの仕事

 タケルの経営するカフェは、地元でも有名な桜の名所である県立公園の近くにあった。亡くなった祖父から譲り受けた古民家をリノベーションし、江戸時代の茶屋のような雰囲気を残しつつもフローリングの現代風にアレンジしたカフェは、地元民だけでなく、公園に遊びにきた区外、市外の人たちにも好評で二度ほど地元のタウン誌が取材に来たこともある。  最も客たちの目的がカフェをしにくるだけでなく、紙面を飾ったイケメン店主を見に来ることだとはタケル本人も気づいていない。  正直、身なりを気にしたことはない。  仕事する時は、量販店で買ったパーカーにチノパン、そしてナオが開店祝いに買ってくれたデニム生地のエプロンをしているだけだ。  それにタケルとしては、店の雰囲気や周りの環境ではなく、あくまで味で勝負したいと考えている。  高校を卒業して調理の専門学校に行ったことにも周囲には驚かれたが、カフェを始めたことはさらに驚かれた。  高校時代は、成績は中の上、バスケでは成績以上に高い評価を受けていたタケルのことだから、周りからはてっきり大学に進学してどこかの大手企業に勤めるか、バスケで実業団にでも入ると思われていたのだ。  それが180度違うカフェの店主となったことは今でも酒の席の話題に上がる。  その度にタケルは、カフェ経営はオレの夢だったんだと笑いながら語る。  実際、タケルの料理の腕は中々のものだった。  カフェで提供するのはロコモコや魚のフリッター、オムライスやパスタと言った主の物にスープやサラダをつけたプレートメニューが多く、そのどれもが高評価でコーヒー、紅茶と言った定番にも豆や茶葉に拘り、種類も豊富だ。ジュース類も果物から直接絞った100%に拘っている。しかし、極め付けはなんといってもフレンチトーストだ。  フレンチトースト用にタケル自らが焼いた食パンに厳選した卵、牛乳、蜂蜜を使い、外側は程よく固く、中身がトロリとした不純な味のないシンプルな甘みは、誰が食べても喜ばれる看板メニューであった。  その為、桜の時期でなくても客は絶えることなく、子供連れ、カップル、学生、お一人様、テラス席にはペット連れ等、たくさんの客が店を訪れる。   「今日もお客さんいっぱいですね」  パートの女子大生も嬉しそうに言う。 「ありがとう。賄いにフレンチトーストを振る舞うからもう少しがんばってね」  タケルがにこやかに笑いかけると女子大生は、少し頬を赤く染めて「はいっ」と頷き、張り切って業務に当たった。  店の扉の開く音がする。  スーツを着た男性が店の中に入ってきた。 「いらっしゃいませ」  タケルは、にこやかに迎える。  その男性が一歩店の中に足を踏み入れた瞬間に、他の客達の視線が一斉に集まった。背が高く、一眼でわかる上等なスーツ、肌は雪化粧を被ったように白い。顔の彫りが深く、鼻が高い。薄緑の目と被ったハットの隙間から金糸の髪が見える。  恐らく英国系の白人だろう、紳士然とした佇まいでゆっくりとした足取りでカウンター席まで寄ってくる。  英国紳士は、タケルの目の前の椅子を引いてそのまま座り、にっこりと笑う。 「ご注文は?」  タケルもにっこりと微笑む。 「エスプレッソとフレンチトーストを」  英国紳士は、メニューも見ずに注文する。  女子大生は、訝しんだ表情を浮かべるがタケルは、気にした様子も見せずに接客する。 「メープルシロップはつけますか?ジャムを好まれる方もいますが?」 「メイプルシロップで」 「畏まりました」  タケルは、注文票に書き取り、そのまま厨房に行こうとする。と、くいっとエプロンが引かれた。  タケルが振り返ると英国紳士の手がエプロンを掴んでいた。  熱のこもった眼差しでタケルを見る。  タケルは、その眼差しを受け止めると、笑みを消す。 「お客さま?」  少し冷たくなった声に英国紳士は、慌てて手を離す。 「失礼しました。やはりエスプレッソでなくラテで」 「絵柄はつけますか?」  タケルは、元の穏やかな表情に戻って笑みを浮かべる。 「お願いします」  英国紳士の答えにタケルは、「畏まりました」と呟き厨房へと戻っていく。  英国紳士は、注文したラテとフレンチトーストをゆっくりと、時間を掛けて食べた。タブレットで書籍を読み、時の歩みと共に変化していく客層を眺め、エスプレッソを注文し直した。  夕方になって客も減り、パートの女子大生が賄いのフレンチトーストを食べている間も英国紳士は、タブレットで書籍を読み、窓から差し込む夕日を見ながら席を立とうとはしなかった。  女子大生は、訝しそうに彼を見る。 「どうかした?」  ダージリンの紅茶を女子大生の前に置いてタケルは聞いてくる。  女子大生は、ダージリンを淹れてくれたことに感謝してお礼を言うと英国紳士に聞こえないよう小声で話しかける。 「あの人いつまでいるんですかね?」  女子大生の言葉にタケルは英国紳士の方をちらりっと見て、そして首を横に傾げる。 「さあ?まあ、コーヒーのお代わりを注文してくれてるし、店としては文句ないよ」 「それでももう夕方ですよ?お客さんだってほとんど帰っちゃったのに・・・」  女子大生は、顔を顰める。 「これじゃあ後片付け出来ないじゃないですか」  女子大生の言葉にタケルは、苦笑を浮かべる。 「大丈夫。俺が全部やるから君は気にしないで帰って」  タケルの優しい言葉に女子大生は、首を横に振る。 「いえ、私もやります。そうすれば店長も早く奥さんの所に帰れるでしょう?」  女子大生の言葉にタケルは、目を丸くする。 「あんな可愛い奥さん、1人で待たせちゃダメですよ。特に新婚さんなんだから早く帰ってあげないと」  女子大生がそう言って笑みを浮かべる。 「お二人って本当にお似合いですよね。休日に奥さんが店にやってきてカウンター越しに店長と話してるのを見て嫉妬の目を浮かべてる女性客沢山いるんですよ」 「そうなの?」  まったく気づかなかった・・タケルは真底びっくりしたように口を丸く開く。  その表情に女子大生は、呆れたように肩を竦める。 「少しは周りを見てくださいよ。本当に奥さん一筋なんですから。まあ、分かりますよ。奥さん魅力的だもん。あんなに可愛いのにミステリアスな雰囲気もあって・・才女って奥さんみたいな人を言うんですよね」  タケルは、頬を掻く。 「そんな一筋に見える?」  タケルの言葉に女子大生は、今度こそ呆れる。 「当たり前ですよ。二人から醸し出される雰囲気、まるで映画のワンシーンを切り取ったみたいで本当に現実?って思わされますよ」  その表現と言葉は日本語としてどうなんだろう?とタケルは思った。一周回って意味が分からない。 「お互いがお互いを思い合って尊重しあってるのが見てて分かるし・・最高の夫婦ですよ。お二人って」  そう言って彼女は、ダージリンを飲み、フレンチトーストを食べた。  タケルは、「ありがとう」と短く答えて洗い物を始めた。  最後の客が帰り、店の看板を片付けても英国紳士は、席に座ったままタブレットを見ていた。流石にと言って女子大生が声を掛けようとしたが、「後は俺がやるから大丈夫だよ」と言って帰した。  カフェの中は2人だけになる。  タケルがエプロンを外し、カウンターから出てくると、ようやく英国紳士は椅子から立ち上がる。 「お待たせ」  タケルが優しく微笑むと、夕日に照らされた紳士の顔が輝く。そしてタケルの肩に手を回すと、そっと引き寄せ、唇を重ねた。 「今日は楽しみましょう」  そう言って2人は暗い店の奥へと身体を入り込ませていった。  ナオは、市立大学の看護学部を卒業後、そのまま付属の大学病院に勤めた。  大学病院では救急救命を始め、外科、整形外科、産婦人科の病棟ナースを経験、どこの部署に行っても評価はA判定。優秀、手際がいい、同じ看護師たちから見ても処置の早さ、点滴の刺し方、患者への対応は素晴らしく、医師達からも彼女が手術に一緒に立ち会ってくれると言うだけで安心感がまるで違うと評され、一時期は医学部をもう一度受験してみてはとまで言われた。また、後輩への指導も素晴らしく、リーダーシップを発揮し、20代でチーフの声まで上がったが、「結婚するので」と丁重に断られ、遂には外来への希望を出された時は、上層部たちはとても驚いていた。  恐らく子どもを産むことを考えているのだろうと周りは思い、チーフになったとしても産休育休は勿論使えるし、時短だって出来ると説得したがナオの決意は変わらず、惜しまれつつも外来への異動となった。  ナオは、屋上のベンチでタケルが用意してくれたお弁当を食べていた。  朝は洋食だからと、いつも和食弁当にしてくれる。  今日は、鮭の俵お結びにたまご焼き、昨日の残りの里芋とイカの煮物、ほうれん草の白和えに明らかに早起きして作ったであろう唐揚げが2個添えられている。  誰がどう見ても愛情弁当と言えるものだ。  このお弁当を見られる度に「仲が良くて良いわねー」と年配の看護師達に揶揄われる。  ナオは、鮭お結びをゆっくり咀嚼する。  鮭の塩味と白米の甘味、海苔の風味とはこれほどに相乗効果を生むのかと驚嘆する。  ナオは、お結びを飲み込み、水筒から注いだ焙じ茶を啜る。これもタケルが用意してくれたものだ。  ふうっとお婆ちゃんにでもなったよう息を吐いて、じっと空を見た。 「平和だなあ」  真っ青な空。どこまでも広がる空。何の刺激もない空。雲の一つでもあればいいのに今日に限ってそれもない。  外来は、時に急患が来ることもあるがほとんどが穏やかだ。高齢者の相手、泣く子どもへの注射、不安を抱える患者への傾聴も救急や病棟の時ほどに深刻なものは来ない。  穏やかだけど刺激のない仕事。  自分が望んで異動したというのに、こんなことを思ってしまう自分は我儘なのだろう。  病棟から外来に異動した理由は周りが考えているようなことではない。周りが考えているようなことを自分は出来ない。  異動を希望した理由。  それは外来には自分と年の近い女性がいないからだ。  大体が40代後半〜定年間近の看護師が多い。たまに新人の看護師が入ったりするがかなり歳下なので範疇外だし、医師の中には同じ年代もいるがそんなに接点がない。  そのおかげで心穏やかに仕事は出来ているのだが・・。 「退屈だあ」  看護師になるのは昔からの夢だった。  父親が当時では珍しい男性の看護師でその働く姿が格好良く、憧れを抱いたのがきっかけだ。  しかし、自分のある特性に気づいた辺りからこの仕事は、自分には無理なのではないか?と思い、高校3年生の時に諦めて経済学部にでも進学して普通の会社員を目指そうとした。  しかし、それを叱咤激励し、後押ししてくれたのが誰であろうタケルだった。 「ナオは、夢を諦めないで。自分に負けないで。ナオならきっと出来る。オレも支えるから」  その一言が今の自分を作ってくれた。  そして難関と言われた市立大学に合格し、看護師と保健師の資格を取得し。現在に至っている。    大学病院にはずっといるつもりはなかった。  ある程度キャリアを積んだら家の近くの診療所か保健所、もしくは地域包括支援センターの保健師にでもなるつもりだったが、大学病院の臨床を経験してしまうと忙しく、やりがいもあるだろうが臨床に比べると魅力が低く、続けていくのが難しいのではないかと思ってしまう。 「どうしようかな・・・」  こんな私に出来る選択肢。 「何悩んでるの?」  吐息と共に耳元で声をかけられ、ナオは思わず「ひやゃあっ⁉︎」とらしくない声を上げる。  いつの間にか白衣を着た女性が隣に座っていた。  肩甲骨あたりまで伸ばした髪をシュシュでまとめ、胸元に流している。少し丸みのある顔に大きな目、口元に三日月のような笑みを浮かべるのがなんとも可愛らしい。少し幼顔なのに身体の肉付きはとても良く、白衣が色気をひき立たせていた。  彼女は、この病院に勤めるMSW、メディカルソーシャルワーカーと言う職種で主に退院調整や介護、何らかの支援が必要な患者に対し必要とされる機関に繋ぐ仕事をしている。いわゆる相談援助職だ。  ナオも病棟ナースとして勤務していた時に良く関わっていたし、外来になってからも同じ階だからよく顔を合わせた。そして今でもプライベートで色々なものを合わせている。 「い・・・いつの間に?」  ナオは、動揺を隠せなかった。 「さっきからいたわよ」  心外と言わんばかりの表情を浮かべてMSWは言う。 「声かけようと思ったんだけど、考え事してる顔があまりに可愛かったから見惚れてたのよ」 MSWは、そう言って、男なら間違いなくころっといってしまうような色香のある笑みを浮かべてナオの頬に触る。  ナオの心臓は、ドキドキして止まらない。 「あら珍しい。緊張してるの」  MSWは、ナオの頬をピアノを弾くようにトントンと触る。 「突然現れたからびっくりしただけだよ」  ナオは、なるべく冷静を装いながら答える。 「だからさっきからいたわよ」  MSWは、面白いものを見るように喉を鳴らして笑い、ナオの顔に自分の顔を近づけて唇を合わせる。  長いのか、短いのかわからない時間、2人は唇を重ねた。  無言の空だけが彼女たちを見守る。  そしてようやく離すと少し息切れしながらMSWは、笑みを浮かべる。 「おにぎりの味がする」  あまりに色気のない言葉にナオは、苦笑する。 「鮭が美味しいでしょ?」  2人は、額を寄せ合って笑う。 「今日はお誘いありがとう」 「こちらこそ、突然でごめんね」 「楽しみにしてる」  そういってMSWは、立ち上がるともう一度ナオの頬を触り、去っていった。  今日は、少しは刺激的になりそうだ。  ふっとタケルの顔が脳裏に浮かぶ。  温かい微笑を浮かべるタケルの笑顔が。  一瞬、罪悪感が心を握る。  お互いに理解し、同意していることなのに胸が苦しくなる。  ナオは、お結びを口に放り込み、焙じ茶をがぶ飲みするとそそくさと片付けて屋上を後にした。
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