受け流し

1/1
前へ
/17ページ
次へ

受け流し

【言三】 「先生、おはようございます」 【信繁】 「おはよう、言三殿」 青く澄み渡った空。 みなが畑仕事を始める早朝。 俺は長老の家の庭に居た。 木刀を持ち。 先生とお互いに向き合う。 自分は正眼。 信繁先生は上段に構える。 【信繁】 「乱取、始めい」 合図で二人の表情が変わる。 信繁先生の目が俺を斬る目に変わっていく。 そこには普段の優しさなどかけらもない。 野犬のように鋭い目つき。 その威圧感のある目線に負けじと自分もにらみ返す。 二人とも何も語らず。 互いの動きを目でしっかりと追っている。 ガサガサと木がゆれるほどの強い風が吹き込んだ。 その音に驚いたのか先生の木刀が面から少しはずれる。 そこを見逃さずにまっすぐと面を打ち込む。 先生は少し動くのが遅れている。 これは当たるかもしれない。 そう思って少し振る力を抑え。 木刀の力を弱めるも、止まらない。 先生は木刀が頭に触れる直前。 俺の木刀を受け止めた。 カッと乾いた木がぶつかる音がした。 受け止められたことで調子が狂う。 この場から先生を移動させようと木刀をさらに引き。 振り切ろうとする。 しかしそこからはずれたのは先生の体ではなく。 先生の木刀だけだった。 急に支えを失った俺は前のほうに姿勢を崩す。 まずい、立て直さなければ。 そう思ったときにはもう遅く。 目の前に先生の木刀が見えた。 【信繁】 「よく見ていたな、言三殿」 【言三】 「は、はぁ」 【信繁】 「風でワシが乱れたのをよく見ていた、よかったぞ」 【言三】 「あ、ありがとうございます」 そう礼を言うと乱取は終わる。 お互いの木刀を納め。 改めて礼をする。 先生はゆっくりと話し始める。 【信繁】 「言三殿、さっきワシがやったのは、受け流しと言う」 【言三】 「受け流しですか?」 【信繁】 「左様、相手の攻撃を刀で受け、その相手の力を利用して流してやる、それが受け流し」 【言三】 「だからさっきはあれほど自分の姿勢が乱れたのですか?」 【信繁】 「左様、人の力は支えを失ったとき大きく乱れる」 【言三】 「まだまだ未熟だと思ってしまいます」 【信繁】 「未熟だと悔いることはない、分からなければ学べば良い」 【言三】 「はい」 信繁先生はそれから色々と教えてくれた。 受け方と流し方。 受け方は刀の鎬(しのぎ)で受け。 刀の刃を傷つけないようにする。 そして流すときは相手の力を利用して流す。 これは、無理に跳ね除けたりすれば刀が傷むから。 どちらにしても、刀をいためるこというは。 反撃のさい斬れなくなってしまう事を意味していて。 敵の攻撃を受け、流して相手を乱し、自分が斬る。 この動作を行ううえで刃で受けてしまえば、刀が使い物にならなくなる、そう強く教えられた。 そう教えられた上で。 次に実際受けてみる練習をしてみる。 先生も加減してそんなに早くは振っていない。 きっちり鎬に当たるように刀を振れるように鍛練していく。 そして繰り返すこと数十本。 いくらか速い振りにも対応できるようになってきた。 それで先生が受けれていると認めたのだろう。 【信繁】 「いいか、言三殿、ここから、水となるんじゃ」 【言三】 「みず?」 【信繁】 「そう、水じゃ、流れの強い激流ではない、来るものを受け入れる、優しい水になるんじゃ」 【言三】 「話がよく分からないのですが?」 【信繁】 「言三殿、雨を見た時があるか?」 【言三】 「はい」 【信繁】 「どういう風に降っているか知っているな?」 【言三】 「はい、上から下に降っていきます」 【信繁】 「そうじゃ、雨とは木にぶつかれば木を伝って地に落ち、屋根にぶつかれば屋根を伝って地に落ちる自分の形をどう変えてでも、必ず地面にたどり着く」 【言三】 「絶対に抗うことなく、水の如く、相手を流す」 【信繁】 「その通り、水の如く、形をすばやく変えて、目的を果たす」 【言三】 「やってみます」 そう助言を受けてから。 先生の木刀を受ける。 受けてからかすかに感じる先生の押す力。 その力が働いている方向にあわせて木刀を握っている力を抜く。 すると、先生から感じていた圧力が一瞬で緩む。 先生が支えを失い。 自分の目の前によろける。 そこをめがけ、あてないように。 木刀を振り下ろす。 【信繁】 「一回でやり遂げるとはお見事、ワシは少しも押し返された感覚はなかった、あっぱれ」 【言三】 「ありがとうございます」 【信繁】 「言三殿が本土に居ればそれは腕の立つ侍になったじゃろうに、本当にもったいない」 【言三】 「おだてないでください」 【信繁】 「おだててなどおらんよ、本当にそう思う」 【言三】 「ありがとうございます」 【信繁】 「さて、次からはそろそろ、生きるための事を教えよう、今まで殺すことしか教えてなかったからな」 【言三】 「生きること?」 【信繁】 「左様、たとえば今、言三殿は受け流しを覚えた」 【言三】 「はい」 【信繁】 「それじゃあ、相手も受け流しを知っていたら、受けられた自分の刀はどうなる?」 【言三】 「流されてしまいます」 【信繁】 「そうなれば、言三殿はどうなる?」 【言三】 「斬られて死んでしまいます」 【信繁】 「左様然らば、生きるためのこと、受けられたときの対処法を教える」 【言三】 「どうすればいいんです?」 【信繁】 「そのときは、ぶん殴るか、蹴り飛ばせ」 【言三】 「どういうことなんです?」 【信繁】 「一番大事なのは相手を乱すこと、相手を殴ろうが、蹴ろうが、相手に斬られてしまうよりはまし」 【言三】 「やはり乱すと言うことが大事なんですね」 【信繁】 「その通り、自分が乱されぬよう鍛練して、いざと言うときは、相手を乱して、斬る、これが剣の道」 【言三】 「極意と言うやつですか?」 【信繁】 「そんな大それたものではない、しかしこれを知っているのと知らないのでは天地の差じゃ」 【言三】 「これを知らないと勝てない?」 【信繁】 「そうじゃ、刀とは当たれば相手に致命傷を与える武器、じゃが、当たらなかったり、相手を斬る前に壊れてしまえば何の意味もなさない」 【言三】 「斬らなければ意味がない?」 【信繁】 「左様、だから、一から教えた、刀と言うのは振り回しさえすれば勝てるものではない、振り回し方を知っていても、然るべきところで、然るべき斬り方で斬らねば、意味がない、まして、その斬り方を知らねば、かわし方を知らねば、受け方も知らねば、対等には渡り合えぬ」 【言三】 「そこまで考えて教えてもらって、ありがとうございます」 【信繁】 「礼はいらん、武士とはもともと義理堅いもんじゃ、それより言三殿、ついてきてくれ」 【言三】 「はい」 信繁先生に連れられて。 長老の家へと入っていく。 すると長老の部屋の隣であいていた奥座敷に信繁殿の部屋があった。 そこには、あの日見た刀が立てかけられていた。 黒くて、木でできた鞘に入っている。 その刀に巻かれた紐を信繁殿はゆっくりと解いて、俺に手渡す。 【信繁】 「あと何年後に鬼が来るかは分からん、じゃが、ここまで鍛練をつんだ言三殿にこの刀を預けても問題ないじゃろう」 【言三】 「ありがとうございます」 【信繁】 「さぁ、腰にさして、下緒を結んでみろ」 【言三】 「さげお?」 【信繁】 「この紐じゃよということは結び方も知らんな?」 【言三】 「はい」 【信繁】 「うむ、教えよう」 【言三】 「はい」 それから信繁先生から教えられた。 最初下緒を折って持ち。 残りの紐を帯の下に通す。通した紐で輪を作ったらそこに折り曲げていたほうを入れ。 輪っかがしまるように閉めていく。 【信繁】 「これでよし、それででている紐を引っ張ってみろ」 言われるままに引っ張ると。 するりと結ばれた下緒はほどけた。 【信繁】 「それでよい、こうしてほどけやすくするのが肝心、下緒を解くのに手間取っていては、いつ別の敵に襲われるか分からん、結びやすく、ほどき易くする、これが大切じゃ」 【言三】 「はい、分かりました、ありがとうございます」 【信繁】 「この刀は刀匠村正の弟子達がその工法を守り、伝え作られた名刀、言三殿がこれから鍛練して、腕を磨けば、必ずしや、鬼も斬れる、そう思う、じゃから、言三殿にその刀、確かに託しましたぞ」 【言三】 「ありがとうございます、このムラマサという刀を大事にして精進して参ります」 【信繁】 「明日からもまた鍛練にともに励もう、憎き鬼めを討つために」 【言三】 「はい、よろしくお願いします」 二人でその場で硬く握手を交わし、その日は解散となった。 ただ素振りばかりしていた日々から見れば大きな進歩があったなと。 そう嬉しく思いながら家路に着く。 先生の言葉を深く心に刻み。 鬼の成敗を深く心に誓うのだった。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加