水の如く

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水の如く

雲ひとつない晴れの日。 秋風が頬を撫でる。 無言で相手を見詰めている。 俺と先生。 先生も動かない。 俺もひたすら相手のスキをうかがっている。 あたりから聞こえるのは、風が揺らす木々の音。 長老の家の近くを流れる小川の音だけ。 お互いがお互いを見つめあい。 動かなかった。 近くに止まっている鳥が羽音を立ててとびった次の瞬間。 信繁先生の木刀は鋭い音を立てて斬りおろされる。 疎に振りかぶったのを見逃さず。 体をわきにそらすと、先生のみぞおちをめがけてつく動作をして。 切先を肋骨の近くで止める。 ほんの少しの沈黙の後。 【信繁】 「もう一本」 その合図で二人とも元の位置に戻る。 そして再びにらみ合い。 また、自然の音しか聞こえない静寂に包まれる。 しばしの沈黙。 されど、お互いからは眼を離さない。 俺も信繁先生の一挙一動を見ている。 そのかわり、信繁先生も俺の一挙一動を見つめている。 それは周りの空気を通してぴりぴりと伝わってくる。 近くのかわらに何かが飛び込むチャポンという音。 その音に反応してしまい。 俺の体が一瞬揺らぐ。 そこを見逃さず先生の木刀が振り下ろされる。 それを見逃さずに木刀の鎬で受け。 流そうとする。 しかし簡単に先生も力で押してくるはずもなく。 先生に蹴られよろめく。 体勢を立て直さなければと先生のほうを向き直ると。 既に喉本に先生の木刀が迫っていた。 そこで焦らず。 【言三】 「もう一本」 そうお願いすると。 先生も元の位置に戻り。 もう一度にらみ合いが始まる。 さっきと同じように、お互いがお互いを凝視している。 再び訪れる静寂と沈黙。 向き合いながら。 何も考えず。 無になるように心がける。 川や風と一心同体になるように心がける。 自分の鼓動を川の流れと重ね。 呼吸を風にのせる。 禅をしているときの心境。 その無の中で動く信繁先生を見失わぬよう。 先生を凝視する。 しばらく時が流れたとき。 先生の挙動がかすかに乱れれる。 今がその時だと確信を持って。 大きく木刀を振りかぶり。 先生に振り下ろす。 先生はと言うとそれを難なくかわし。 俺の額の前で木刀を止めている。 その木刀の位置から。 真剣でやっていれば自分は斬られていたのだと悟る。 【言三】 「ありがとうございます」 【信繁】 「ありがとうございました」 お互いが頭を下げ、今日の練習を終える。 【信繁】 「最近、すっかり言三殿は相手の動きを見るようになってきましたな」 【言三】 「これも信繁先生の指導の賜物ではないでしょうか?」 【信繁】 「そう言って頂けると、ワシも嬉しい限り、しかし懐かしいですな」 【言三】 「確かに、最初はすべて素振りから始まりたし」 【信繁】 「最初あの数年の素振りに耐えられるかどうかが鍵でしたね」 【言三】 「既にあそこから鍛練は始まってたんですね」 【信繁】 「左様、あの時点でねを上げられたらどうしようかと内心ひやひやしとった」 【言三】 「正直、嫌になったこともありましたけどね」 【信繁】 「でもよくがんばったじゃないか、その後も面抜き面、受け流しと順を追って教えてきた」 【言三】 「その中でも、一足一刀の間合いが大事だといってましたね」 【信繁】 「左様、それができなければ刀を持った赤子と一緒じゃからな」 【言三】 「それほど大事なことだということですね」 【信繁】 「一足一刀の間合いとは、基礎中の基礎、基礎が分かっているからこそ、間合いが狭まったとき、間合いが広がったときでも対処できる」 【言三】 「それを掴んでいてこそどうやって動けばいいかが見えてくる」 【信繁】 「そうじゃ、まさしく礎、それから、かわし方や受け方、流し方と積み重ねてきた」 【言三】 「そうやってやってきたことを振り返ると、感謝しても感謝し切れません」 自分はそう言いながら先生に頭を下げる。 【信繁】 「しかしじゃ、言三殿」 【言三】 「なんですか先生?」 【信繁】 「ワシが教えられたのは人間相手の剣術だけじゃ」 【言三】 「鬼を相手として想定できでいないということですか?」 【信繁】 「そうじゃ、ワシは鬼と戦ったことが、ない、それだけが唯一の心残りじゃ」 【言三】 「そればかりは仕方ないです、この島や本土にも鬼がありますが、鬼と戦える男と言うのは、そんなに多いはずでは無いと思いますから」 【信繁】 「じゃから言三殿、できれば、今まで教えたことは参考程度に思ってもらいたい」 【言三】 「参考ですか?」 【信繁】 「左様、わしが教えたのは基本的な動きでしかない、じゃから、鬼の動きを見ながら戦って欲しい」 【言三】 「分かりました、色々指南していただき、ありがとうございます」 【信繁】 「こちらこそ、また人に教えるという事ができて嬉しかった、ありがとう、言三殿」 【信繁】 「そうじゃな、言三殿、ちょっとこっちにきてくれんか?」 【言三】 「はい」 信繁先生に導かれるがまま、俺は長老の家をでて、寺の近くの小川までやってきた。 小川は、いつものようにせせらいでいた。 【信繁】 「言三殿、この小川が見えるか?」 【言三】 「はい、いつものように、見えます」 【信繁】 「言三殿、この川の流れを見てどう思う」 【言三】 「とても穏やかに思います」 【信繁】 「そうじゃろう、でも、ひとたび雨が降ればどうじゃ?」 【言三】 「濁って氾濫します」 【信繁】 「それでは、この水を汲んで、桶にためれば?」 【言三】 「溜め水に」 【信繁】 「風呂釜に入れれば?」 【言三】 「風呂になります」 【信繁】 「茶碗に注げば?」 【言三】 「飲み水になります」 【信繁】 「つまりはそういうことじゃよ、剣とは」 【言三】 「どういうことなんです?」 【信繁】 「茶碗に注がれれば茶碗の形になる、風呂に溜めればば人を包み込む事だってできる、大きな風呂釜にだってなる」 【言三】 「注がれるものの器に近づかなければならないということですか?」 【信繁】 「そうではない、形を変えろを言うことじゃ」 【言三】 「形を変える?」 【信繁】 「左様、その昔二天一流という流派を作った宮本武蔵と言う男がいた、彼は言った、わが流派は水を基本としていると」 【言三】 「つまりは形を変えて、全てに対処しろと?」 【信繁】 「それもある、しかし武蔵殿は型にはまったときから水は腐り始める、そうも言っている」 【言三】 「つまりは習った型にこだわっていては、腐ってしまう」 【信繁】 「左様、然らば鬼に合わせて鬼を討つ姿勢に変えなければいけない」 【言三】 「私も、鬼になれと?」 【信繁】 「流れの強い水に立ち向かうのならば、自分も流れの強い水にならねばならん」 【言三】 「小川のような優しい流れでは鬼に勝てない?」 【信繁】 「強く流れる水になれ、人を討つには人でいいが、鬼を討つには己も鬼にならねばならない」 【言三】 「鬼を討つ水流、まるで滝の如し」 【信繁】 「そこまで大げさなものではありませぬ、そこまで大げさに考えなくて良いのです」 【言三】 「というと?」 【信繁】 「言三殿、剣とは、殺したいという本能と、生きたいという本能のせめぎあい、鬼を斬りたければ生きたいなどと願うな、鬼を殺したいと思う己の本能を信じろ、考えてしまえば、必ず殺される」 【言三】 「殺したいという本能」 【信繁】 「左様、魚を殺してでも、食べたいと思う心、それは殺したいという本能、それと同じように、食らってでも生きたいと思う、生きたいと思う本能」 【言三】 「それは……気がつきませんでした」 【信繁】 「剣とは、最後まで冷静でいられた人間が勝つ」 【言三】 「最後まで冷静に鬼を動きを見ている」 【信繁】 「そう、そして本能に従って殺すべきところで殺す」 【言三】 「そうすれば鬼を討てますでしょうか?」 【信繁】 「今まで鍛練を積み、相手の動きにに合わせて、剣を振れる、しっかり相手を見ていれば、必ず」 【言三】 「そうですね、基本に忠実に、戦ってみます」 【信繁】 「その意気じゃ、いつ鬼が来てもいいように、互いに鍛練しよう」 【言三】 「はい、ありがとうございます」 信繁先生と二人で小川を見ながら。 少しもの思いにふけっていた。 水の如く、それは簡単なようで実は難しい。 水は激しく打つこともできれば。 優しく注ぐこともできる。 問題は調子を合わせていかに、鬼に致命傷を与えるか? そんなことを考えながらも、不思議と不安ではなかった。 今はうめやさくらが大きくなったのも見ている。 だから今は恐怖よりも。 とねの敵をとるという使命感のほうが、自分の中で燃え上がっていた。
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