座禅1

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座禅1

目を閉じれば。 鳥が囀る声。 虫の鳴く音。 水音だけが聞こえていた。 朝連さんに教えられたように脚を組み。 手をくみ。 目を閉じて。 自分を見つめてみる。 最初は足が少し痛かったり。 なれない姿勢なので座りづらかったり。 さまざま、苦しいと思うことがあったが。 少し時間がたってみればそんなこともない。 目を閉じて何も考えないようにして。 ひたすら心が平常を保てるようにする。 普段はけして気がつかないが。 俺の身の回りにはこんなにも音があふれていたのかと思わされる。 普段は気にもしない音たち。 集中すれば集中するほど、それは耳障りに思えた。 そのわずかな苛立ちをかき消すように平常心が保てるように。 怒りをかみ殺す。 心の中の沈黙。 雑念をはらう。 しばらくして、カラスの鳴き声が耳をかすめる。 いつも畑でも聞く、その鳴き声。 カラスの鳴き声を聞きながら。 不意に頭をよぎるあの日のこと。 【とね】 「言三ってあなたですか?」 【言三】 「俺だが」 【とね】 「長老様があなたを呼んでこいと言ってました」 【言三】 「何か用事なんだろうか?」 【とね】 「わたしは分かりません、早く長老様のところへ」 【言三】 「そうか、伝えてくれてありがとう、礼を言う、なんと言う名前だ?」 【とね】 「とねといいます、礼を言われるほどのことでもないです」 【言三】 「ありがとうとねとやら、見ない顔だな、最近流刑になったのか?」 【とね】 「いえ、わたしの家は寺の近くです、家族とずっとこの島に住んでます」 【言三】 「あそこのお嬢さんか」 【とね】 「祭りであったことあるはずですけど」 【言三】 「そうだったか、すまぬな、よく覚えていない」 【とね】 「わたしもそうだったから、きにしてません」 【言三】 「なるほど、おあいこというわけだな、とりあえず伝えてくれてありとう」 【とね】 「はい」 それがとねとの出会いだった。 カラスが鳴く夕暮れ時。 その日は長老がたまたま食い物を届けに来たとねをつかいによこしたのだという。 それ以来だった。 俺がとねさんを見かけるたびに、挨拶するようになったのは。 最初、とねは冷たかった。 最初は会釈する程度。 嫌われてるのかと不安になったくらいだった。 でもそれが次第に挨拶するようになった。 少し浮かれていた。 とねに挨拶されて嬉しかった。 でも、それも長くなかった。 長老に頼まれて、畑を荒らしている犬を打ち殺したことがあった。 それを知ったとねはしばらく畑の前を歩かなくなった。 野蛮な俺は嫌われたのかなと。 そのときに生まれて初めて恋心と言うものを知った。 悔しいが、今までがむしゃらに生きてきた俺が。 女一人に冷たくされたくらいで何をくよくよしているんだろうと。 情けない気分になったのは今も忘れない。 そんな状況が変わったのは、秋の豊作を祝う祭りのとき。 寺に集まって近所のおじさんなんかとしゃべりながら。 とれたばかりの作物を囲んでいたときに。 とねに謝られたのだった。 力のない犬を打ち殺すだなんてとっても野蛮で酷い人だと思っていた。 でもこの祭りができるのは。 あの犬を殺してくれた言三のおかげ、それがなかったら祭りはできなかったと思う。 作物は全部全滅していたかもしれない。 そう長老に説明されて、思いなおしたのだという。 それからだった、俺ととねが恋仲になったのは。 とねは朝食の残りを工面して、俺に昼飯を持ってきてくれたし。 俺はとねがするには難しい力仕事、家の戸の修理をしたり。 とねは俺につくし。 俺はとねにつくした。 そしてすぐに、とねの親や長老達が、二人を夫婦(めおと)にしたらどうかという話になり。 気がつけば、村のみんなが家を作ってくれて。 完成した次の日からその家に住み。 長老に一人前と認められ。 畑ももらい。 二人で畑を持って。 暮らし始めた。 まるで絵巻でも見ているかのように。 とねと出会って、夫婦になるまでの情景が浮かんだ。 明らかに自分の心が平常を保っていないことに気がつく。 焦って平常をたもとうと、気を落ち着かせる。 でも次に浮かんだのは。 あの憎き鬼の顔。 平常を取り戻すどころか、一瞬にしてはらわたが煮えくり返る。 鬼への殺意。 鬼が奪った幸せ。 鬼が壊した日常。 鬼が残していった村への傷痕。 鬼さえいなければ。 とねはもっと幸せな人生が送れたはず。 とねはもっとたくさん子に恵まれたかもしれない。 悔しさだけが心の中に渦巻く。 もう怒りしかこみ上げない状況で平常などと言う概念はどこかに吹き飛んだ次の瞬間。 パシン!! 左肩に痛みが走る。 【言三】 「ありがとうございます」 自分は朝連に頭を下げた。 【朝連】 「おつかれさまです、座禅はこれくらいにして、お茶でもどうですか?」 【言三】 「はい、ありがとうございます」 そう返事をしながら。 ふと疑問になった。 茶畑もないこの島で一体どんな茶が出てくるのだろうと。 まっていると。 なにやら茶色い飲み物が出てきた。 【朝連】 「これは麦湯と言う飲み物です」 【言三】 「むぎゆ?」 【朝連】 「はい、京では人気の飲み物なんですよ」 【言三】 「はじめてみました、どういった飲み物なんですか?」 【朝連】 「ムギを焙煎したものをせんじたお茶のようなものです」 【言三】 「…………」 【朝連】 「そんなに心配しなくても、死にはしませんよ」 【言三】 「それは分かってるんですでも見慣れなくて」 【朝連】 「確かに、見慣れないものを口にするのは怖いでしょう、でも私はこうやって口にしている」 【言三】 「それじゃあ自分も」 【朝連】 「どうぞどうぞ」 【言三】 「うむ……苦味がある中、でも、ほのかに甘い」 【朝連】 「お口に合いませんでしたか?」 【言三】 「いえいえ、とってもおいしゅございます」 【朝連】 「それはよかった」 【言三】 「初めて飲みましたが、よかったです」 【朝連】 「そうでしたか」 【言三】 「本土ではみな飲むものなんでしょうか?」 【朝連】 「そうでもありません、でも麦湯はいいものです、心を落ち着かせる」 【言三】 「確かに、落ち着いたような気がします」 【朝連】 「それはよかった、言三さん酷く乱れていましたが、何を思い出していたんです?」 【言三】 「それなんですが」 そのあと、朝連さんに全てを話していた。 とねとであった日のこと。 とねとの馴れ初め。 結婚にいたるまでの経緯。 そしてとねは鬼にさらわれてしまったこと。 そしてその鬼がまた来るということ。 それに対しての恐怖。 娘達を守れるかの不安。 それらを話し終えてから。 【言三】 「自分にはなぜそれらの情景が浮かんだのかさっぱり分かりません」 そう疑問をぶつけてみる。 朝連さんは麦湯を一口すすってから。 ゆっくりと答える。 【朝連】 「それが、言三さんの抱える不安であり、それは普段から気にしていることだからですよ」 【言三】 「そうなんですか?」 【朝連】 「そうです、普段の自分が気にしていないはずの事もこうやって己の実態して見える、それが禅です」 【言三】 「そうですか、普段から娘を守ると言っていいるのに、恥ずかしいし、情けない話」 【朝連】 「いえいえ、それは恥ずかしい話でも、情けない話でもない」 【言三】 「それはなぜです?」 【朝連】 「それはなぜか?己の弱いところを知っているからです」 【言三】 「よく意味が分かりません朝連さん」 【朝連】 「それもそうでしょうね、それでは言三さん、畑で仕事していて、どこかを怪我したことあります?」 【言三】 「それは何回も、ひざをすりむいたり、指を切ってから血を流したり」 【朝連】 「そうやって怪我をしたときどうします?」 【言三】 「布で傷口をふさいで、同じところをまた怪我しないようにします」 【朝連】 「そうです、そこなんです、蝉とは」 【言三】 「どういうことなんです?」 【朝連】 「今、言三さんは過去の辛いことや、普段悔いていることを見ました、それは心の中の傷口なのです」 【言三】 「しかしどうすればその傷口をふさげるでしょうか?」 【朝連】 「残念ながら、心の傷をふさげる布はございません、でも、己の心の傷、弱いところを心に留めておけば、心の傷が開きかけたときに、自分で分かるでしょう?」 【言三】 「なるほど、よく分かりました」 【朝連】 「だから己を見つめる、己の弱さや雑念を見つめる、それが禅です」 【言三】 「だからもう二度と開かないようにしてしまうと言うことですね」 【朝連】 「それも無理です、さっきそれを思い出して言三さんは酷く乱れました、ということは、その辛いことを思い出すと、酷く乱れる、そういうことが今分かりましたね?」 【言三】 「わかりました」 【朝連】 「よく分かればそれで結構、今度そのいやな事を思い出しても動じないこと、これが禅の一番の目指すところです」 【言三】 「いやなことを思い出しても我慢しろと言うことですか?」 【朝連】 「我慢するよりも、それを受け止めて、心を落ち着かせるのが理想です、時間はかかるでしょうが」 【言三】 「難しいですね」 【朝連】 「みんな難しいんですよ、じっくりやりましょう」 【言三】 「はい」 【朝連】 「それよりも言三さん、麦湯をもう一杯いかがですか?」 【言三】 「いいんですか?」 【朝連】 「はい、もちろんです」 【言三】 「いただきます」 麦湯を淹れに朝連さんが席をはずす。 今まで言われた深いことを思い返す。 嫌な事を思い出しても乱れない心。 えらい難しい問題だと考えてしまう。 どうやって動じないようにすればいいのか。 しばし考えていると。 朝連さんが戻ってくる。 【朝連】 「しかし言三さん、亡くなった奥さんは昔からこの島に住んでるといいましたね」 【言三】 「はい、今年で70近くになる長老がこの島で生まれたときにはあの屋敷はあったそうです」 【朝連】 「なるほど、かなり昔から住んでいたのかもしれませんね」 【言三】 「自分も詳しくはしりませんが、かなり古くからある家らしいですね」 【朝連】 「なるほど、興味深いですね」 【言三】 「古くから住んでいると何かあるんですか?」 【朝連】 「いや実はですね、昔あった大きな戦で、命を狙われた天皇家の末裔がこの島に逃げて生き延びたんじゃないか、なんてうわさがあります」 【言三】 「そうなんですか?」 【朝連】 「うわさですけどね」 【言三】 「それじゃあ、この島に天皇家、朝廷に縁のある人間がいると?」 【朝連】 「それはまだ断定できません」 【言三】 「でもいるとするのなら、なんだかおもしろそうな話ですな」 【朝連】 「確かにそうかもしれませんね、いろいろな人に知らないかと聞いてるんですがなかなか情報がなくて」 【言三】 「自分も知りません、そんなに偉い人にあったことはないので」 【朝連】 「そうですよね、何か分かったら教えてください」 【言三】 「はい、聞いてみます」 【朝連】 「よろしくお願いします、それでは、また座禅をしましょう」 【言三】 「よろしくお願いします」 【朝連】 「こちらこそよろしくお願いします」 深々と頭を下げながら送り出す朝連さんに送り出され。 寺をあとにする。 自分の心の中で、弱いところと向き合い、乱れないようにする。 禅もまた難しいものだなと思った。
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