一足一刀

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一足一刀

信繁先生に基本を教えてもらい。 もう何年かになる。 毎日、言われたとおり。 素振りを繰り返しては先生に見てもらい。 一つの素振りがきっちりしたら。 次は違う打ち方を学んで、あっという間に月日が過ぎていた。 面から始まり胴、籠手、突き。 始めたばかりのときはうまくは行かなかったが。 長年の鍛練のおかげで何とか形になり始めていた。 今日も成果を見せようと信繁先生のところに行ったときのことだった。 【信繁】 「うむ、このくらいになれば十分だ」 【言三】 「本当ですか?」 【信繁】 「これで素振りはいいだろう、次にうつる」 【言三】 「お願いします」 そうやって頭を下げると信繁先生は俺の前に木刀を持って立っていた。 【信繁】 「よろしい、わしに面を打ちこんでこい」 そう言いながら信繁先生は静かに木刀を構える。 こうやって前に相手が立つだけで、素振りとは違う感覚だった。 今までイメージでしかなった相手が鮮明になり。 面を狙うと言う意識も明確になる。 一呼吸を置いて先生に斬りかかる。 かなりの速さで斬りかかった。 しかし、木刀を振り下ろした瞬間。 気がつけばそこに先生はおらず。 先生を目で追えば。 自分のすぐ隣にいて。 先生の木刀は自分の額の直前で止まっていた。 【言三】 「え!?」 驚きの声しかでなかった。 先生はゆっくりと木刀を戻す。 【信繁】 「今のは面抜き面と言う、相手の面をかわし自分が面を打ち込む、そういうわざじゃ」 【言三】 「目にもとまらぬ速さ、分かりませんでした」 【信繁】 「初めてだから仕方ない、焦らないでよく教えよう」 信繁先生はそういうと、もう一度ゆっくり振るようにいてきた。 言われるがまま、ゆっくりと木刀を振る。 信繁先生は自分と同じ調子で木刀を振り上げ。 自分が踏み込むと同時に足を横に運んで、自分の木刀をかわす。 そして正確に自分の額へと木刀を振り下ろす。 【言三】 「さすがは先生、すごく軽やかによけますね」 【信繁】 「言三よ、これは剣の基本じゃ、いいか、言三にも教えてやるかよく聞けよ」 【言三】 「はい」 【信繁】 「今、言三は一歩踏み込んで、わしを斬ろうとしたこれが一刀の間合い」 【言三】 「一刀の間合い」 【信繁】 「そう、一歩踏み込めば相手を斬れる、それが一刀の間合い」 【言三】 「なるほど」 【信繁】 「一方わしは、言三が斬ろうとしたのを見て、それをかわした、そして面を打ち込んだ」 【言三】 「はい、そこが難しいのです」 【信繁】 「そう難しく考えればなんでも難しい、要するにわしがかわした、そのかわせる間合いを一足の間合いと言う」 【言三】 「一足の間合い」 【信繁】 「そう、相手の刀の動きを読んでよけれる間合いのことじゃ、それを一緒にして、一足一刀の間合いと言う」 【言三】 「一足一刀の間合いですか?」 【信繁】 「左様、刀とは斬るのも大事、でもかわすのも大事、なぜか分かるか?」 【言三】 「いえ」 【信繁】 「刀にまともに当たればどうなる?」 【言三】 「死んでしまいます」 【信繁】 「その通り、だからかわすと言うのはとても肝心なこと、自分が先走って斬りに行けば必ず斬られる」 【言三】 「それじゃあ、どうすれば相手を斬れるでしょうか?」 【信繁】 「スキを狙うんじゃ」 【言三】 「それは卑怯なことじゃないんですか?」 【信繁】 「何も卑怯なことではない、それは生きるために見ていること、だから上級者同士の戦いでは、ほとんど動かないのが普通じゃ」 【言三】 「そうなんですか?」 【信繁】 「そうじゃな、ためしに向き合ってみるか」 【言三】 「はい」 信繁先生に促されて、先生と向き合う。 相手をよく見ろということを思い出しながら先生をよく見る。 先生はきっちりと正眼の構えから動かない。 どこかあいてるところはないかと目を凝らす。 目を凝らせば目を凝らすほど。 信繁先生がより大きな人間に見えてくる。 普段話しているときは自分よりも背が低く。 とても物腰の柔らかい先生に見えた。 でも今は違う、木刀を持って目の前に立つだけで。 それは別人だった。 まるで見下ろされているかのような気迫。 木刀を握っている手が自然に汗ばんでいく。 早くなる鼓動。 早くスキを見つけなければ。 少し焦り始める。 先生は俺のスキを見つけたのか。 木刀を大きく振りかぶる。 前に倒された重心。 振り下ろされようとしている木刀。 木刀の軌道を見ながら足を踏み出し、横にかわす。 ブンッと大きな音を立てて自分の左肩を木刀がかすめていく。 何とか当たらないで済んだと安堵して、その場に座り込んだ。 【信繁】 「みごと、わしはかわすと信じていたぞ、言三」 【言三】 「すごく怖かったです」 【信繁】 「なぁに、今はかわせたのだ、筋はいい、そのよけるのにあわせて面を打ち込め」 【言三】 「俺にできるでしょうか?」 【信繁】 「できるさ、わしにあててもいい、振ってみよ」 【言三】 「しかしそれでは先生が怪我してしまうのでは?」 【信繁】 「かまわん、それがイヤなら刀を止めることも考えろ、まずは調子を教えよう」 【言三】 「調子ですか?」 【信繁】 「そうじゃ、調子じゃ、わしが振り上げたら言三も刀を振り上げる」 言われたとおりに木刀を振り上げる。 【信繁】 「そう、そうしたら、わしが踏み込むのを見て体を左でも右でもいい、かわすんじゃ」 説明しながら前に進んでくる先生、それに合わせて自分も右に逃げる。 逃げ切ったところに先生の木刀が振り下ろされる。 【信繁】 「そう、そうしたらどうじゃ?わしの頭が目の前じゃろう?」 【言三】 「は、はい」 【信繁】 「スキを作ったやつに情けは無用、そこを一気に振りぬく、これが面抜き面じゃ」 【言三】 「分かりました」 【信繁】 「よろしい、何本かやってみるか?」 【言三】 「よろしくお願いします」 そこから、何本か面抜き面の練習をした。 最初は木刀を振ってくる先生が怖かった。 でも10本もやっているうちに。 相手をよく見る。 と言うのが理解できてきた。 先生が木刀を振り上げた瞬間をきっちり目で見ていれば。 かわせるのだと練習を通して悟った。 そのあとは面抜き籠手。 面抜き胴と順を追って習う。 どれも基本は一緒。 相手の動きを見て斬る。 それが胴を斬るのか。 籠手を斬るのかの違いだけ。 重要なのは、籠手の間合い。 胴の間合いに入るときに。 どの方向に体を振るかが鍵だった。 時々先生の木刀に体をぶつけながら学んでいく。 痛い。 でも鬼を討つためと我慢して練習に取り組む。 面抜き面20本。 面抜き籠手20本 面抜き胴20本全てを終えて。 練習が一段楽する。 ゆっくり休みながら。 二人で談笑する。 【信繁】 「しかし言三よ、あの練習をして、一足一刀の間合いは覚えたか?」 【言三】 「先生が剣を構えてお互いの切先が交わるところです」 【信繁】 「刀どうしではそうじゃ、しかしじゃ、鬼は刀を持っていたのかの?」 そうきかれたときに胸がトクンと大きく脈打った。 思い出す鬼が襲ってきたときの情景。 奴は刀ではない、金棒を持っていた。 【言三】 「いえ、金棒を持ったいました」 【信繁】 「そうか、ならば切先の位置に頼らず、一足一刀間合いを覚えねばならぬ」 【言三】 「それはどうやって覚えればいいですか?」 【信繁】 「それはもはや、経験とカン、相手が構えている姿勢を見て判断せねばならぬ」 【言三】 「それまでに経験がつめるでしょうか?」 【信繁】 「わしが相手をしよう、これからは三日に一度はわしのとこに来い、そして一足一刀を身にしみこませるのじゃ」 【言三】 「一足一刀の間合いとはそんなに大事なのですか?」 【信繁】 「とても大事、いや、剣の要じゃ、遠すぎれば相手は走って間合いを詰める、近すぎれば太刀筋が見えない、と言うことは調子が狂う」 【言三】 「なるほど、相手の調子を崩そうとしているのに自分が調子を崩されてしまうと言うわけですね」 【信繁】 「察しが良い、その調子じゃ、言三もやっと少しずつ剣が分かってきたの」 【言三】 「ありがとうございます、俺も先生のように強くなれるでしょうか?」 【信繁】 「わしが強い?わしはまだまだじゃよ?世の中には、将軍家に剣を教える柳生がある、柳生新影流のほかにもニ天一流や猪谷流、神道一心流、そのほかにも強い奴らはごろごろしとる、わしはただ酒井家に剣を教えていた先生、天下無双でもなんでもない」 【言三】 「でも俺にとっては日本で一番強いように見えます」 【信繁】 「おだてるな言三、剣とは難しい、自分より強いものはたくさんいる、じゃがそれを知っていても、戦がおきれば戦わなければならない」 【言三】 「それもさぞ、怖いことかと思います」 【信繁】 「それも怖い、じゃがな、剣を持つ人間とはいつかは必ず強い相手と戦わねばならぬ、なぜか分かるか?」 【言三】 「わかりません」 【信繁】 「剣を持った以上は侍じゃ、侍は己の故郷(くに)を護るために戦う、それが使命じゃ」 【言三】 「使命ですか」 【信繁】 「そう、言三はこの島の民を鬼から護るのが使命」 【言三】 「はい」 【信繁】 「だからこそ鍛練じゃ、鍛練して強い相手が来ても勝てるようにそなえねばならん」 【言三】 「わかりました」 【信繁】 「ならよい、言三よ、おぬしは今からこの島で唯一の武士じゃ、剣の道を学ぶ立派な侍じゃ、ただしその力が持つ意味も弁えよ、そして慈悲の心を忘れるな」 【言三】 「分かりました、先生」 【信繁】 「これからよろしく頼むぞ、言三殿」 【言三】 「ど、殿だなんて恥ずかしいです」 【信繁】 「かかか、まだ慣れんうちはみんなこそばゆい、しかし言三殿は今日から侍じゃ、がんばれよ」 【言三】 「はい」 すごく照れくさいながらも返事をしながら先生のもとを去る。 罪人としてこの島に流刑されてきた自分が、殿なんて呼ばれるのは慣れなかった。 でも、何年も何年も鍛練してやっと手に入れたのだと、少し安堵していた。
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