座禅2

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座禅2

目を閉じる。 そこにはいつもどおり。 光のない世界が広がる。 耳に入るのは朝連さんが後ろをゆっくりと歩いている音と。 水の流れる音、鳥のさえずりのみ。 ずっと座禅にかよっているうちに、とねのことを思い出して乱れることは少なくなっていった。 思い出さないわけではない。 思い出すが、それを沈める方法を心得ているのである。 とねがさらわれて、もう、10年がたとうとしている。 うめとさくらは13になり。 自分も老けてきていると思う。 とねがさらわれてすぐのときは、二人をどうしつけたらいいのか分からず。 苦労したこともあった。 でも何とかかんとか、今日まで育ててきた。 本当ならとねを失った悲しみに泣いていたいときもあった。 一人で敵を討ちに鬼がすむという洞窟に行こうと思ったことも何度もあった。 でもそれらはどれもやらなかった。 うめとさくらをきちんと嫁に出すまでは、心にしまい。 ただ育てることだけを考え。 今日まで過ごしてきた。 最初の座禅の経験から、何も考えず、本当の無を作ろうとするから。 乱れるのだと言うこと。 だから完全な無ではなく、何かを考えていようと思う。 何か考えるべきものを探す。 畑のことか? それとも、この前新しくできた酒のことか? 酒のことを考えることにする。 作兵衛さんお手製のお酒。 作兵衛さんは自分がとねと夫婦になる前。 島に流刑されてきた人。 本土では酒蔵で酒を作っていたらしい。 でも、酒蔵のゴタゴタに巻き込まれて。 流刑されてきたらしい。 なんでも作兵衛さん以外はみんな亡くなったそうな。 しかし細かいことは気にしていない。 この島で細かい流刑されてきた話を聞くほうがヤボだからだ。 作兵衛さんはさくらとうめが生まれたときに。 真っ先に俺に酒を送ってくれた人だった。 そのときは酒の味など分からなかった。 でもお祝い事には酒だと言う作兵衛さんは送ってくれた。 何回か飲むうちに、そのおいしさがようやく分かってきた。 酒はうまい。 そしてときどきまずい。 嫌な事を考えたり。 思い出しながら飲むとたちまちまずくなる。 とねのこともそうだけど。 さくらに怒られたことを思い出しても。 たまにまずくなる。 でもそれは父親の自分を心配してのことだと言うのは理解している。 でも時折、とねに怒られているようで辛かったりもする。 さくらもうめも、今はもう年頃。 自分がとねと出会ったときのような、すてきな女性になっている。 できればそんな二人が村の良い男と結婚して。 とても幸せな家庭を築いて欲しい。 そう願うばかり。 そう願った瞬間。 心の中で濁った水が流れ始める。 もし、うめかさくらも鬼にさらわれるることがあったら? トクンッ、トクンッ。 そう音を立てながら胸が激しく脈打つ。 ひたいをいやな汗が伝う。 うめやさくらの人生がそこで終わってしまうようなことがあれば。 自分は何のために剣の鍛練をして。 禅をして。 体や心を鍛えているのか? うめがさらわれれば。 さくらがさらわれれば。 どちらを想像しても。 全身が煮えくり返る心地だった。 自分の妻も。 娘に鬼に殺されれば自分は死んでも成仏しきれない。 かき乱される感情。 全身を流れる汗。 このままでは恐怖で頭がどうにかになりそうだった。 このままでは禅ができないと思った次の瞬間。 パシン!! 左肩に痛みが走る。 【言三】 「ありがとうございます」 自分は朝連さんに頭を下げた。 【朝連】 「おつかれさまです、今日は久しぶりに酷く乱れてましたね」 【言三】 「はい、少しよからぬ想像を」 【朝連】 「想像?」 【言三】 「いえ、ただ自分の中にある怖さです、未熟ゆえ、乱れてしまった」 【朝連】 「そうでしたか?」 【言三】 「すみません」 【朝連】 「気にすることはありません」、また、鬼のことですか? 【言三】 「恥ずかしながら、でも、それはとてもおぞましく、はらわたが煮えているようにフツフツと」 【朝連】 「辛いようならそれ以上は言わなくていいです」 【言三】 「はい」 【朝連】 「これは余談ですが」 【言三】 「なんです?」 【朝連】 「これは本土で鬼が娘をさらうときの話なんですが」 【言三】 「何かあるんですか?」 【朝連】 「どの娘も、朝廷と縁のある娘だったとか」 【言三】 「とねがさらわれたと言うことは、うめやさくらも?」 【朝連】 「それは断言はできません、でもうわさはうわさです」 【言三】 「…………」 【朝連】 「どうしたんです?そんなに怖い顔して?」 【言三】 「そんなうわさを聞くと余計に心配になると言うか」 【朝連】 「それは考えすぎです、うわさなど都合のいいもの、みんな朝廷の不幸にしたいんですよ」 【言三】 「それはなぜ?」 【朝連】 「有名なものが狙われると言えば朝廷に縁のない普通の人間は安心するそういうことです」 【言三】 「そういうものなんでしょうか?」 【朝連】 「そうでしょう、言三さん、今日は深くは聞きませんでした、いつかはその乱れを聞かせてください」 【言三】 「はい」 【朝連】 「今日も麦湯はいかがですか?」 【言三】 「いえ、結構です」 【朝連】 「そうでしたか、酒のほうがよかったしょうか?」 【言三】 「いえいえ、お坊さんにお酒を飲ませるわけには」 【朝連】 「冗談ですよ、今日は気分がすぐれないのでしたら、ゆっくり休んでください」 【言三】 「ありがとうございます」 朝連さんに頭を下げてその場をあとにする。 もしかしたら次にさらわれるのもうめかさくらかもしれない。 そんな不安が色濃くなった。 帰り道。 その不安は大きくなったり。 何とか落ち着かせたり。 色々やりながら。 歩いていた。 自分にできることは。 今やっていることをもっとできるようにして。 娘を守ることのみ。 例えあの鬼と刺し違えてでも。 自分の命などなくなろうとも。 鬼の息の根だけは止めてやる。 うめとさくらだけはわたさない。 そう心の奥で固く誓うのみだった。
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