カラフル

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「これ、超可愛いでしょ~? 全色買いしちゃうかも」 「マジでー?」  甲高い笑い声が噴水みたいにわぁっと湧き上がったかと思うと、お金の使い道を揶揄する声が、雨粒となってパラパラと降ってきた。  放課後の教室に響き渡る喧騒は、自分とはかけ離れた世界の副産物に思えて、なんだか少しうらやましい。  茜色の夕焼けに染められたルーズリーフをスクールバッグの中にしまってから、私はバッグの内ポケットからスマートフォンを取り出して、メッセンジャーアプリを起動した。何度表示したって、私の友人、佳代ちゃんが本日欠席である事には変わりなく、 「大丈夫? お大事にね」 と送信したメッセージに返信は無い。よっぽど具合が悪いのだろうと判ってはいるものの、一日一人で過ごしてみれば、自分の友達の少なさを痛感して心細かった。 「とりあえず、一番のお気に入りだけ買ってみたの。どう?」 「似合う! 流石愛莉(あいり)だね」 「ありがと~!」  再び歓声が沸く。  話題の中心に居る松島愛莉(まつしまあいり)ちゃんが、ボルドー色に染まった両手の爪を、彼女の友人らに披露しているところだった。  どうやって教師の目をくぐり抜け、この時間までそんな色の爪でいられたのか気にならなくもなかったが、それどころではなかった。その右手に握られているスタイリッシュなマニキュアボトルに、私は心を奪われてしまったからだ。    そのフォルムは全体的に丸っこく、華美な装飾が無い代わりにキャップとネイルポリッシュの色とが同じで、シンプルかつ機能的な見た目であった。かといって、決して野暮ったくない。    かっこいい、と、私は思った。  あらゆる意味で無駄を省いたそのデザインは、不思議と、愛莉ちゃんのクラスでの在り方に似ていた。    過度に媚びず、見え透いたお世辞は言わない。それで反感を買ったら堂々と立ち向かう。 松島愛莉ちゃんはそういう子だった。    彼女が気に入ったというマニキュアは、秋を意識した深いボルドー色だ。光の加減か、少しだけ青みがかっているようにも見える。   (あんな色、塗ったことないな)    私が選ぶ色は、ピンクやベージュなど肌馴染みの良い透明感のある色ばかり。今までそれらの色に何の不満もなかったけれど、愛莉ちゃんの纏う鮮やかな赤の前では、どれも無難に見える。  それが悪いという訳ではない。ただ、鮮やかさの前では霞んでしまう。 (季節に合わせてネイルの色を変えた事、無いなぁ)  愛莉ちゃんの手の中にあるボトルをもう一度、遠目で眺めてから、私は教室を後にした。  一人で歩いていると、目に焼きついた深いボルドーばかり思い返してしまう。  帰路に着いたはずが、気がついたら道中の雑貨店の前に居た。  私は真っ直ぐコスメコーナーへと向かう。  「冒険をしてみたい」そう思った。    そのマニキュアは、売り場中央の季節限定商品の特集コーナーに展示されていた。人気なのだろう、幾つかの色はすでに売り切れていて、売り場の棚は所々がらんどうだ。  ボルドーがまだ購入できることを確認した後、サンプルを自分の指先にあてがってみる。深みのある秋色は教室で見た色よりずっと濃く見えて、奇抜な色のおしゃれなのだと判っていても、自分の爪に塗るのには少し抵抗があった。    実物を見るまでは、同じマニキュアを使えば少しだけ、愛莉ちゃんのような子に近づけるんじゃないかという淡い期待があった。 もちろんそんなの夢物語だ。 それでも、昨日の自分よりは少しだけ、今日の自分を好きなれる気がしたのだ。   ――でも、この色は私に似合わない――。    魔法にかけられたような夢心地な気分が、シャボン玉のように割れた。  私は、手に取っていたマニキュアをのろのろと売り場に戻し、同じブランドの通常商品を物色することにした。    何も買わずに帰りたくはなかった。  せっかく冒険をしようと決めたのだ、いつも選ぶ色とは違う色。それを纏う自分を好きになれる特別な色を、自身の決断で選びたかった。    私の目を引いたのは、くすんだ薄紫色だった。商品名は『ソフトバイオレット』というらしい。パープルならまだ、ピンクに近いような気がして心理的な抵抗が少なかったし、くすんだ色が季節感を表現しているように思える。  残念なことに、通常商品の棚にはサンプルが用意されておらず、それが私に合う色なのかどうか、確認する術は無かった。  少しだけ購入を躊躇ったが、「変わりたい」という気持ちに背中を押され、レジへと向かった。    家に帰るや否や、早速マニキュアを塗ってみた。    爪を保護するベースコートを塗布し、よく乾かした後に『ソフトバイオレット』を塗る。くすんだ薄紫が指先を彩る。ポリッシュ液が乾くのを待つ間、両手をかざして高揚感に浸っていた。    ポリッシュ液が乾き爪の色が確定したあと、冒険した後の充実感は、一抹の後悔へ変わっていた。  最後の仕上げとなる、マニキュアを保護するためのトップコートを塗って薄紫をくるみ、今度こそ完成した両手を鏡に映してみる。    ――ほんの少しだけ、私の肌の色には合っていないような気がして、胸の奥がざわついた。    失敗しただろうか。 せっかくの新たな挑戦にケチをつけられた気がして、私は爪を傷つけないよう気をつけながらごろんと寝転んだ。  いつもの色の方がよっぽど似合う――喉元まで出かかった感想をぐっと飲みこむ。    トップコートが完全に乾いたのを確認してから、スマートフォンで秋色に彩られた指先を記念撮影し、佳代ちゃんに送りつけてみようとメッセンジャーアプリを起動した。  佳代ちゃんとのトーク画面には、私の送った「大丈夫? お大事にね」というメッセージに、先程までは無かった既読の印がつけられていた。具合が悪い中、急ぎの話でもないただの雑談を送って良いものかと少し引け目は感じたが、その時の私は、己の小さな冒険を誰かと共有したくてたまらなかったのだ。   <調子はどう?  実は買っちゃったんだ 似合う?>    ポンという軽快な音とともに送信される文字の羅列には、「似合ってると言って欲しい」という私の怯えと期待とが透けて見えていて、我ながらなんだかなぁと思った。  すると直ぐに、メッセージへの返信が来たことを告げる電子音が鳴る。 <京子ちゃん、返信遅れてごめん! 寝てた。  それにしても、珍しい色買ったね。なんか、京子ちゃんのキャラじゃなくない?> 思ったより早く返信が来て、目を見張る。佳代ちゃんからの率直なメッセージを読んで、ざわついていた胸の奥にあったものが急激に鉛となって、腹の奥が重苦しくなった。 「似合ってないって事か……」    スマートフォンを机の上に置いた後、私は除光液を手に取って、たっぷりとコットンに染み込ませた。そして、塗ったばかりのマニキュアを落とす作業に没頭する。    無駄な買い物をしてしまったのだろうか?  マニキュアのボトルを再度見た。とても、美しい色だと思う。  『ライトパープル』は悪くない。たまたま、私に似合わなかっただけ。  愛莉ちゃんのように、自分の好きな色が似合う女の子じゃなかっただけのこと。  苦い思いがマニキュアを包み溶かす除光液のように、心の中に広がってゆく。     「古川さん昨日さ、ネイルコーナーに居たよね。マニキュア好きなの?」  翌日、登校して早々に愛莉ちゃんから声をかけられた。 私達は普段、所属するグループが違うせいか雑談など全くしない。あの雑貨店に居た所を見られていたのにも驚いたけれど、それをきっかけに話しかけてきてくれたのが心底意外で、私はぼうっとしてしまった。  その沈黙を、愛莉ちゃんは否定的な意味で受け取らなかったようで、急にはしゃぎ出した。 「意外! ネイルの話できる人増えて嬉しいな! アタシも昨日あの店行ったんだ! もはや全部推せるって思っちゃって、見て見て、全色買いー!」    じゃーん! と言いながら、愛莉ちゃんはスクールバッグの中から大ぶりのポーチを取り出して、開いてみせた。中には色とりどりのマニキュアが顔を覗かせている。 「すごい!! 素敵!!」    私にとってそれはまるで、宝石箱のようだった。 「でしょでしょ!?」  嬉しそうにはにかむ愛莉ちゃんの顔を見て、ああ、この人はやっぱり、見た目も内面も綺麗だなと思った。    地味な私が化粧品を選ぶ姿を、「似合っていないのに」とバカにしたりしない。美容については自分の方が詳しいなどと、人を下に見るような真似もしない。  昨日、私の中で僅かに芽生えた彼女を羨む気持ちは、太陽に照らされたようにすっかり掻き消えた。    そんな私と愛莉ちゃんのやりとりを、そばにいる佳代ちゃんが珍獣でも見るような目で眺めていた。  彼女にとって、私がクラスの中心にいる子とコスメの話をするなんて「キャラじゃない」んだろう。確かにそうだ。――そうだけれども。    佳代ちゃんは決して悪い子では無い。けれど、一度相手を「こんな人だ」と思うと、すぐにはその思い込みを訂正しない子だ。  私は彼女のそういうところが、時々すごく窮屈だった。    どうして私達はこの狭い教室内でしか判断材料がないのに、その人の性格を当てはめたがるのだろう。  教室の外に出たら、もっと素敵な彩を放つ人かも知れないのに。    もっと愛莉ちゃん事が知りたくなって、私は胎を決める。 「松島さん、私実は、昨日はじめてそのシリーズ買ったの。でも、なんか似合うと思えなくて……よかったら、アドバイスくれない?」    愛莉ちゃんは一瞬、目をまあるく見開いたけれど、すぐに元の笑顔に戻って、 「オッケ、じゃあ放課後開けといて!」    と言った後、可愛らしく手を振ってから自分達のグループ内に戻っていった。甘い香りが微かに鼻腔をくすぐった。 「松島さんって、結構気さくな人なんだね」    佳代ちゃんが恐る恐ると言った様子で言った。 「なんか、うちらがコスメ見てたら仲間内でバカにするようなキャラかと思った」    随分な言いようだなと思わず眉を潜めたけれど、咎めるのも違うような気がして、私は飛び出しそうになった言葉を慌てて噛みつぶした。    もし佳代ちゃんに、今までそういう経験があったのなら。”女の子”を楽しもうと、昨日の私のように冒険の旅に出ていたところを、誰かに傷つけられて臆病になっていたとしたら? だからこそ相手を「こんな感じのキャラの人」と決めつけて、自分を守っているようにも思えた。  正論は時に相手を傷つける。  私と佳代ちゃんはまだ、瘡蓋を作りながら笑い合える間柄ではない。 「かっこよくて憧れなんだ、松島さん」    そう言うだけに留めて、それより体の具合はどう? と、私達も日常へ戻った。 「今度はいつもみたいに、私とも遊んでよね」  帰り際に冗談交じりで言った佳代ちゃんと別れ、タイミング良く帰り支度のできた愛莉ちゃんに合流する。 「じゃ、行こっか。実物塗った方が早いと思うから、突然なんだけどアタシん家来てもらえる? 古川さん――京子ちゃんって呼んでもいい?」 「もちろん! 良いの? いきなりお邪魔しちゃって……。あ、私も愛莉ちゃんって呼ばせてね」 「当然ー」  “呼び名の確認”の儀式を終えて、私達は愛莉ちゃんの家へ向かった。    閑静な住宅地の大きな一軒家が、彼女の住む家だった。お洒落な外観に綺麗なお庭が、目に眩しい……そんな風に思っていた時だった。    一台のワゴン車が、玄関付近に停車するのが見えた。 白い車体には、何かの施設の名前が書いてある。その特徴的なロゴは以前に街中でも見かけたけれど、その施設について、私は何も知らなかった。 だから、愛莉ちゃんがその車を見た途端、能面のような無表情になったのに気が付かなかった。 「なんで、そんなに早く帰ってくるなんて聞いてない」  先程までの甲高い声からは信じられない位低く、強張った声音を聞いて初めて、私は彼女の異変に気が付いたのだった。    ――どうかした?――    その一言を発しようとした矢先の出来事だった。ワゴン車の中から、大柄な少女が転がるように飛び出した。小学校高学年位の年だろうか、すこしぽっちゃりとしているその子は何を思ったのか、車外に出るや否や道路に飛び出そうとするではないか。危ない、と思った刹那に、車の中から蛍光色のTシャツを着た女性が飛び出してきて、女の子の腕をつかんだ。   「危ない危ない、江梨香ちゃん、飛び出しません」 「とびだしま、せん」    おそらく施設の職員なのだろう、女性の言葉を、女の子が独特のイントネーションで復唱した。そのやりとりが、なんだか会話をしているというよりは、赤ちゃんが母親の言葉を真似ている様子に似ていて違和感を覚えたのだけれど、その後に耳をつんざいた女の子の奇声によって、私の頭の中は真っ白に焼けてしまったようになった。 「あら愛莉、こんな早く帰るなんてめずらしいわね」    お人形さんのお家のような豪奢な玄関が開くと、小奇麗に身なりを整えた女性が驚いた顔でこちらを見ていた。その表情は愛莉ちゃんそっくりで、すぐに彼女のお母さんだと判った。    愛莉ちゃんのお母さんも愛莉ちゃんも、女の子のキンキン声に動じていない。 しばらくその意味が判らなかったけれど、やがてパズルのピースがすべて組み合わさったその刹那、全身を雷で撃たれたような衝撃が走った。 「江梨香、今日は早いんだね」 「外出予定が中止になったのよ。あら、お友達?」    愛莉ちゃんのお母さんは私に気が付いて、にっこりと微笑んだ。先程はただ美しい人だと思ったけれど、よく見ると目の下に濃い隈がある。緊張のあまりどもりながら挨拶を返す。おばさんは、   「ママ!」    と、抱き着いてきた女の子をぎゅうと抱きしめ、職員の女性と会話し始めた。 「入って」 「あ……お、お邪魔します」    おばさん達より先にご自宅へ入るのは気が引けたけれど、有無を言わさぬ愛莉ちゃんの様子に気圧され、そのまま彼女の後をついてゆく。  愛莉ちゃんの部屋に通されるや否や、バタンと大きな音がしてドアが閉められた。  鈍感な私はそこで初めて、彼女が強張った顔をしている事に気が付いたのだ。   「驚かせてごめん」  とっさに返事ができなかった。  愛莉ちゃんはたどたどしく言葉を続ける。 「江梨香は私の妹で……普通の子と、違う。いつもはもっと帰りが遅いから、鉢合わせず済むはずだったんだけど」 「……そっか」  なんと言っていいか、判らなかった。    江梨香ちゃんの様子を見て、驚かなかったかと言えば嘘になる。 だって、私にとって“江梨香ちゃんの住む世界”はテレビの向こう側に在る世界。そこで何が起ころうと、所詮は対岸の火事だったのだ。 私は、芸能人が二十四時間かけて応援しているのを、見ているだけの観客にすぎない。  愛莉ちゃんは私にとっての非日常を、日常として過ごしている。その事実に、脳天を撃ち抜かれたような衝撃を覚えた。  だからといって、遊びに来た事を後悔したなんて事は絶対に無い。それだけは断言できた。   「ひいた?」    愛莉ちゃんの双眸に、怯えが揺らめいている。  私は居ても立っても居られず、声を荒げてしまう。 「まさか! そんな訳無い! 絶対無い!」  アーモンド型の目が零れ落ちそうなほど見開かれるのを見て、私はそこに、愛莉ちゃんの痛みをひしひしと感じた。   彼女が人に優しくなれる理由を――愛莉ちゃんという人間が抱く確固たる意志が、どのようにして生まれたのかを――垣間見たような気がして、胸が熱くなった。 彼女はお人形さんなんかじゃない、辛い事も苦しい事も経験している一人の人間なのだと実感して、私は、自分が恥ずかしくなった。 佳代ちゃんと同じだ。相手がどんな人間か勝手に決めつけて、羨望の対象という型に押し込んでいた。 「――ありがと。嬉しい」 愛莉ちゃんははにかんで笑い、 「じゃあ、さっそくネイルしよ! 思いっきり楽しむぞー!」 と、いつもの声に戻ってからからと笑った。 強がりかもしれないその態度を見て、彼女は辛い時でもこうやって、明るい女の子を演じてきたのだろうかと胸が痛くなった。  部屋の片隅に置いてあったラック付きキャスターをころころと引き寄せて、愛莉ちゃんは引き出しを空けた。中には、ありとあらゆるネイルグッズが所狭しと収納されている。  そんなにたくさんマニキュアを持っていて、使い切れるのかとびっくりして尋ねると、なんでも、練習がてらネイルチップに派手なアートを施してオリジナルの付け爪を作り、休日につけているのだとか。 教室で友達に披露していたボルドー色のマニキュアも、実はネイルチップに塗っていたのだそうだ。 「肌や髪、目の色だとか、その人の雰囲気で似合う色も、そうでない色もあると思うけれど。そんなの全部無視して楽しむのもネイルアートの醍醐味だと思うよ。似合う色しか使っちゃいけないなんて決まりは無い。  京子ちゃんが『ライトパープル』を好きなら、それでいい。  ――っていうのが前提で、あえてアタシのオススメを紹介するなら、やっぱこの『マンゴージュレ』って色かな」    愛莉ちゃんはたくさんあるネイルポリッシュの中から一つ取り出し、私に見せてくれた。 透明感のある明るいオレンジで、見ていると元気が出てくる色だった。   「手、出して」    私の指に、甘皮を処理しやすくするためのキューティクルリムーバーを塗る愛莉ちゃんの顔はいたって真剣で、少し意外だった。指をマッサージしながらリムーバーをなじませて、甘皮プッシャーを持ったところで、私の視線に気が付いた愛莉ちゃんは、照れくさそうに笑う。 「ネイリストになりたいんだ」    そう言いながら私の甘皮を優しく押し上げてゆき、無駄な皮膚をニッパーで取り除く。とても手際が良かった。    愛莉ちゃんのポリッシュを塗る手は私のように震えたりせず、私の爪先を宝石のように仕上げてくれた。オレンジが私の肌の色を綺麗に引き立て、普段の数倍手元が美しく見える。 感動に浸っていると、愛莉ちゃんがぼそっとつぶやいた。 「辛くて、下を向いて涙をこらえるしかない時……爪が綺麗だと、なんだか心が慰められるんだ」 「愛莉ちゃんみたいにカッコいい人でも、そんな風に思うことがあるんだね」  愛莉ちゃんは私の爪から目線を外さず、少しだけ何かを考えてから、言った。 「小学校の時、江梨香と一緒に遊ぶと障害が移るって言われて、アタシも一緒に避けられたことがある。中学で出来た彼氏には、重すぎるって言われて振られた。  江梨香の事を知っても、ここに居てくれた京子ちゃんの方が、ずっとカッコイイ。  ……なんて、らしくない事言っちゃった」    言葉の裏にある感情を誤魔化すかのように、愛莉ちゃんは豪快に笑った。 そして、美しく彩られた私の爪にトップコートを塗ってくれる。 私はなんだか愛莉ちゃんのその笑顔が無理して貼り付けた仮面のように見えて、気が付いたら言葉が口から飛び出していた。 「人にはいろんな顔があると思うよ。友達に見せる顔、親に見せる顔……どんな顔も全部、愛莉ちゃんだよ。その人“らしい”って、何だろう。外側から見たその人のイメージは単一かもしれないけど、本当はもっと多彩で当たり前だと思うんだ。人ってきっと、すっごくカラフルな生き物なんだよ。  似合う色しか身に着けちゃいけないって決まりが無いように、無理して自分のイメージを演じなくて良いと思う。悲しい時は、泣き顔で良い。無理して笑わないでよ、愛莉ちゃん」    はじかれたようにこちらを見た愛莉ちゃんを、私はどんな表情で見ていたのだろう。   「今度は江梨香ちゃんも一緒に、ネイリストごっこしよっか。もちろん、迷惑じゃなかったら」  今にも泣き出しそうな顔に笑顔の仮面を貼り付けようとして、愛莉ちゃんはそれを思いとどまった。 「――よっしゃ、じゃ、京子ちゃんには遠慮なく練習台になってもらうから。覚悟してよね」  震える声に、私は彼女の本音を垣間見た気がした。  両手をかざして、愛莉ちゃんの塗ってくれたネイルを存分に楽しんだ。夕焼けが室内に入り込み、明るいだけのオレンジに僅かな影が落ちる。そのグラデーションもまた、美しい。  今の私だったらきっと、『ライトパープル』でおしゃれした指先も好きになれるだろう。
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