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翔の痛みが落ち着いた後、いずみは警察官であることを一旦脇に置いた。大人であることも脇に置く。翔は今すぐにプログラミングに戻りたいようだったが、十分だけ時間を取ることを頼みこんで、何とか許可された。なのに邪魔が入った。
翔の父親がやってきたのだ。
病院のサイトやパンフレットでは柔和な顔を見せているが、それがそれなりに険しい表情をしていた。そりゃそうだろう。脱走犯だ。
翔の父はいずみを警察官だと覚えていたようで、わずかに遠慮する素振りを見せた。が、今は正式な事情聴取でもないと告げると、息子と話がしたいと切り出した。それはいずみに席外しを願う言い方だった。
いずみは仕方なく一旦帰ると言ったが、病院の周りをうろうろして、そして何か聞き忘れたとか言って戻るつもりだった。このまま翔を放置するわけにはいかない。
病院のすぐ隣にあるコンビニでコーヒーを買って飲んだが、それだけでは時間が余ったので、駐車場脇で桃田に電話をした。さっき翔にもらった地図データを彼に送ってある。
「桃田、その地域で何かこれまでの事件に関わる何かがないか調べてくれる?」
「わかりました。あと、このサイトは何ですか?」
「そこに翔君たちの悪口を書き込んでる人がいるから、その中で悪質なのをピックアップして可能なら特定かけて。どうも、あの子、何か掴んでる気がする。今からもうちょっと話を聞くから、詳しいことがわかったら連絡する」
「え、掴んでるんですか」
「ような気がする。今、彼はお父さんと話してるから、後でもう一度寄ってみる」
「え…お父さんですか。暴力がないように見張ってないと」
桃田が電話の向こうで顔をしかめるのがわかった。
「それは大丈夫でしょう。あの子も口は達者だけど、一応怪我人だし、相手は治療してる主治医でもある」
「そうですけど…。でも注意してくださいね」
「心配性ねぇ。さすがに今は暴力はないって。じゃぁまた連絡する」
いずみは電話を切り、それから病院を見た。あんまり桃田が気にするから、ちょっと心配になってきた。
もう少し時間を置くつもりだったが、早めに病棟に戻ってみる。エレベーターホールに出ると、翔の父が去っていくところだった。憂鬱そうな背中が去っていく。脇には事務長として紹介されたことのあるスーツの男性がついて何か話しかけていた。
いずみは鉢合わせしなかったことにホッとしながらも、フロアに四つある個室の一つへ向かった。半開きのドアをノックして中に入ると、翔はシーツをかぶって向こうを向いていた。
もしかしたら疲れて眠ってしまったのかと、いずみはそっと中に入り、翔の様子を覗いた。翔は落ち込んでなんていなかった。手にスマートフォンを持ち、何かのサイトに書き込みをしていた。
「何してるの?」
いずみが聞くと、翔は小さく笑った。
「うちの病院の評判を落としてる。院長が最悪だって」
ふっといずみは笑った。まだ元気みたい。顔に怪我も見当たらなかった。
「復讐? また何か言われたの?」
軽く聞くと、翔はスマートフォンを置いていずみを見た。
「別に。今後の話をしただけ」
「今後ね。高校受験とか?」
「違う。来月の話。ロンドンだかスコットランドだかに飛ばされる。最悪だよ」
「え? どういうこと?」
「こっちの希望なんかガン無視。来月、招待レースがあるのに。吐きそう」
「大丈夫?」
いずみは呆れて小さく首を振った。それが本当なら単なる暴力より桃田が怒りそう。
どうやら有馬翔の父親は、素行の悪い息子をもう見たくないらしい。だからといって急に海外に飛ばすのも極端だと思う。きっとそう脅しただけで、それで大人しくしてもらおうとでも思っているのだろう。
「殺人の疑いがかかってるのに、国外逃亡していいの?」
翔は真面目に聞いてくる。父親の脅しは効果を発揮しているようだ。
「疑いってほどじゃ…。そういう話じゃなくて」
「あ、その前に解決しちゃえばいいのか。犯人が見つかんなかったら僕も海外に行かなくていい…ってわけにもいかないか。そうだよ、とにかくそっちを片付けないと」
翔は思い出したように言って、不自由な様子で体を起こした。そして右手を枕の下に入れて、ノートパソコンを出す。
「まだ試しだけど、向こうが組んだパターンもわかってきた。見て、カメラに映らないようにどう動けばいいかシミュレーションしてみたんだ。それで実験もやってみたんです」
翔が言い、いずみは画面を見た。何かの動画が出る。
それは病室内を飛び回るドローンの動画だった。
「僕のより小さいのだと、もっと音は静かになる。あと、音は上からだとよく聞こえるけど、下からは目立ちにくい。これは視線も同じで、下は気づかない」
いずみはそれをじっと見た。看護師の足元をベッド下から見ている映像で、それは静かにホバリングしているようだった。音声も入っていて、看護師が「何の音?」とキョロキョロしているのが感じられる。
看護師が気づいて覗こうとしたところで、ドローンが飛び出す。看護師は驚いて後ろに下がり、ドローンを追い払うように手を振り回した。ドローンはぐるっと部屋を回って翔の元へと戻るが、その直後に看護師が激怒している声が入っていた。
「もしここで、毒を吹き出したら。僕が感電したときみたいに。そしたら…」
翔は少し言葉にためらった後、いずみをもう一度見た。
「誰でもできる。ただし…まぁ、その、うまくコントロールできればだけど」
いずみは腕組みをした。
「翔君ぐらいの技術が必要?」
そう聞くと、翔は少し考えた。そして苦い顔をする。
「例えば、人を殺すつもりだったんなら、そうだな、僕より下手だと難しいと思う。もしドローンを使ったなら、って場合だけど」
「そっか」
いずみはうなずいた。
「飛ぶ以外のバージョンも考えた。例えば、野良猫ロボってパターンもあると思う。猫なら、じっとしててもいい。回収のために動くプログラムだけ入れてればいい。自分で動くのでもいいし、別の仕組みでもいい」
「猫…」
いずみは目を見開いた。野良猫なら駐車場の裏にいてもおかしくないし、公園にいてもおかしくない。
「猫ならあるかも。ちょっと待って、桃田に確認させる」
「猫じゃないかもだよ。僕は犯人が人間である必要がないって可能性を試しただけ」
「可能性ね、OK」
いずみはうなずいた。
「でもそれは…ちょっと待って。今日のレースの関係者に、それができそうな感じの人はいた? しかも翔君を恨んでる人。しかも」
「僕より上手い人」
「違う。翔君と技術的に張る人。越えなくてもいい。むしろちょっと下ぐらいがいい。嫉妬かもしれないんだから」
「そりゃ…いるよ、きっと。でも名前なんか出せない。みんな知り合いみたいなもんだし、人を殺すような人なんかいないよ」
「わかった」
そりゃそうね。いずみは手を広げて認めた。
「こっちで調べる。そのプログラムは自分で書くの? ドローン飛ばせる子はみんなできる?」
「みんなじゃないけど、ビルで僕が落ちたときに見たのは自作だしプログラムも書いてると思う。あと…」
「あと?」
いずみは身を乗り出す。
「陸上を歩くパターンのはドローンより、まだ安定してないんだよね。歩くんじゃなくて車で移動するんなら楽勝。センサリングやカメラの性能もドローンのと同系統だとしたら、コントロールも似た感じでいけるよね。だから無人機でやるなら、車両型かドローン型の二択でいいと思う」
いずみはうなずいた。警察でも無人説は出ていた。ただ、現実性がないとして却下されてきていた。一応、警察だって状況検証をしてみたのだ。が、周囲の監視カメラの位置、時間帯、人通りをシミュレートした結果、これは難しいとなったのだ。それよりは車両の出入りなどによる監視カメラの死角を利用した人力の方が現実性があるとされた。
「翔君なら、できる?」
いずみが聞くと、翔は困ったように彼女を見た。
「残念ながらできると思う。現場検証する?」
翔が言い、いずみは思わずうなずきかけて首を振った。いやダメ。今はタイミングが悪い。脱走したばかりで、いずみだって、どうして現場にいたのか課長に疑われたばかりだ。せめて魚谷が認可したらできるかもしれないが。
「ちょっと待って。広域警察の意向を聞くから」
そう言うと翔は小さく鼻を鳴らした。
「手遅れになるよ」
そうかもしれない。
いずみは内心認める。でも今回は話を通しておかないと。
「すぐ許可はもらう。だから少し教えて。その無人で今までの事件を行う実現性はどのぐらいある?」
いずみが聞くと、翔は肩を傷めてなければ大げさに肩をすくめたであろう表情でいずみを見た。
「百パー」
想定はしていたが、躊躇のない答えにいずみは息を小さく吸い込んだ。この子はわかってて言ってる。この答えが、自分を犯人にする危険性もはらんでいるということを。だからこそ、いずみもその綱渡りに参加する義務があった。
「わかった。今まで想定されてる犯罪の実行過程は、警察の方でもいくつか持ってる。どの案にも未確定要素や矛盾する項目があって、確定できないでいるんだけど、翔君はそれをクリアできると思う?」
「ちゃんと調べた? 監視カメラが何を映してて、何を映さないのかも確かめた? クリアはできるよ。大掛かりな装置はいらない。専門家チームもいらない。情報と、強いて言えばドライバーだけだよ」
いずみはうなずいた。翔の目は真剣に訴えている。
「説明してくれる?」
いずみが言うと、翔はパソコンの画面を違うものに切り替えた。
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