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麗子が帰宅すると清美は校正のアルバイトをしている最中だった。リビングの真ん中のちゃぶ台に座り、原稿とにらめっこをしている。部屋には作業用のクラシックのBGMが流れていた。
「おかえり」
集中している清美は麗子を一瞥したあとすぐに作業に戻った。麗子は清美の様子を見て安心した。とりあえず母の作業が終わるまでは安寧の時間を過ごすことができると思ったからだ。
「とりあえずこれお土産ね」
麗子は手に持ったドーナツを机の上に置く。
「あら、珍しい、ありがとう。ついでに紅茶淹れてくれる?」
何がついでなのかはわからなかったが麗子は母に従うことにした。麗子は部屋を見渡し、今朝脱ぎ捨てた部屋着のスウェットを見つけ着替える。そのままキッチンに向かい、電子ケトルに水を注いでスイッチを入れた。
静かだった。静けさが部屋にかすかなプレッシャーを与えていた。何を考えるわけでもなくソファーに横たわりぼんやりと部屋の隅を見続けている麗子と、黙々と作業を続ける清美。じゅごーっとお湯が沸く音がキッチンから響き、ペラペラと原稿をめくる音が軽やかに鳴る。この空間がいわゆる「休日のひと時」だったらどれだけ二人は穏やかな気持ちでいられただろう。この二人にとって家族といっしょに過ごす時間はあまりにも長すぎた。
部屋の静寂を破るようにカチッと電子ケトルが音を立てた。麗子はゆっくりと起き上がりキッチンに向かう。無地の白いコップを二つ準備し、引き出しからアールグレイの紅茶を取り出した。ぐつぐつと音を立てているうちにコップにお湯を注ぎ、ラップをかける。すぐさま冷蔵庫にくっついているタイマーを3:00にセットし、麗子は完成間近の紅茶をちゃぶ台に運び清美はありがとうと小さく呟いた。ソファーに戻りかけた麗子に問いかけた。
「あなた、これからどうするの?」
不意に投げかけられた清美からの漠然とした質問に麗子はたじろいだ。
「どうするって?」
「あなた、休学してからもう二か月も経つじゃない」
清美が声のテンションを少し高めると麗子はあからさまに不機嫌そうな顔をした。こういうことを言われたくないから家にいたくないのに。と顔に書いてあるようだった。清美はその甘えた表情にさらにむっとする。そして息を深く吸い込んで麗子に言い放った。
「いい加減アルバイトとかなんかしなさい!」
「……考えとく!」
麗子は生意気にそう答えるとキッチンからタイマーの音が鳴った。
麗子は気まずく感じ、紅茶を持ち自分の部屋に逃げ込んだ。6畳ほどの部屋にはベッドや勉強机、クローゼットや漫画や小説のたくさん詰まった本棚がある。ベッドに飛び込みながら麗子はスマートフォンを使い求人を眺めた。画面上には居酒屋、喫茶店、雑貨屋、塾講師など様々な職業が広がっていた。求人をタップしては、在学中にバイトをしていた同級生の話を思い出す。麗子にはその程度の社会経験しかなかった。眠りが浅い時の夢を見ているようにぼんやりとした仕事の実態を麗子はまっすぐ見つめることができなかった。そのまま麗子は自然と落ちてくる瞼に身を任せ眠りについた。
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