溺れるならコーヒーの海がいい

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  麗子は考えていた。半額のシールが貼られた肩ロースをステーキにするか、とんかつにするか迷っていた。結局、麗子はあれからアルバイトを決めることができなった。曖昧に自分の進路をぼかす麗子に業を煮やした清美はせめて家事くらいはしなさいと命じたのだった。買い物かごにはサラダのために買ったレタス、きゅうり、トマトと卵が入っている。とんかつにするならキャベツの千切りは買っておいた方がいいかなと考える。わざわざ野菜コーナーに引き返すのをめんどくさがった麗子は今日の献立をステーキにすることに決め、肩ロースに手を伸ばしたその時だった。  「あれ、もしかして麗子?」  低いがはっきりとしたその声が麗子の耳に届いた。麗子は驚きのあまりびくっと肩を震わせる。もしかしてと思い振り向くとそこには白のニットと厚手のコートを羽織った青年が麗子の目に入った。狐を思わせるきゅっと吊り上がった細い釣り目と、嬉しさをこらえきれずに上がった口角が麗子の目に入る。ほほに浮かぶはっきりとしたえくぼを捉え、麗子は確信を得た。  「雅人だよね……。久しぶり」  麗子は自分の声の小ささと暗さに驚く。家族と喋るとき以外に自分がどんな声をだしていたのかを麗子は思い出せなかった。麗子は久しぶりに家族以外と喋るのでコミュ二ケーションの取り方を半ば忘れていたのだった。  「久しぶり。こっち帰ってきてたんだね」  雅人は麗子のトーンに合わせるように落ち着いて答える。雅人は自分の思っていたリアクションと違うことに内心驚いていた。  「雅人は買い物?」  「うん。そうだよ。今日はカレーを作ろうと思ってね」  「わ、雅人が作るの?えらいね」  「いやいや、大したことないよ。」  「私は今日、とんてきを作るよ。安かったからね」  「いいじゃん、豪華だね」  英語の教科書のような会話を繰り返すなかで麗子と雅人は核心を突くタイミングをうかがっていた。麗子はやきもきしていた。本当は雅人がどのように大学生活を過ごしているかは気になってるが、どう切り出していいかわからなかったからだ。雅人はなぜ地元に帰っているのかを聞いていいのか少し迷っていた。  「調子どう?」   麗子が絞り出したような質問は逆に不自然だったことに気づく。  「ぼちぼちかな」  雅人は込み入った話を避けたがこれもまた悪手だった。  「あー、そっかあ……」  スピーカーから精肉の販促のBGMが延々と流れ続ける。ピポピポと主張の激しい音は逆に静けさを際立たせている。終わりそうで終わらない空気に耐え切れなくなった雅人は  「今度お茶でもいこうよ」  と提案した。  「もちろん!おすすめの喫茶店あるから行こ!」  麗子はぱあっと音が聞こえるような笑顔を見せながら答えた。その一言を発することができて麗子はようやく呼吸ができたような気がした。
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