溺れるならコーヒーの海がいい

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 コーヒーの上に浮かぶアイスクリームはまるで満月みたいだと麗子は思った。細長いグラスにたっぷり入ったコーヒーの黒と、まん丸に盛り付けられたアイスクリームの白のコントラストは麗子をいつも夢中にさせた。ぼんやり眺めていると透明な黒い海は濁った白と混ざりながら、あいまいなグラデーションへと変化していく。コーヒーフロートがゆっくりと溶けていく様子は麗子の心を落ち着かせた。時間の流れにひたすら身を任せていたい。そう思ったとき麗子は喫茶店でコーヒーフロートを頼むのが習慣になっていた。  頃合いを見て麗子は机の上にあるカトラリーケースからロングスプーンを取り出し、白い月を掬ってみた。からんと氷の音を立てながらグラスの中はブラウンに染まっていく。その様子に満足しては月の欠片を頬張った。ねっとりと甘い風味が広がっていくのを堪能しては、ほろ苦いコーヒーを口に含む。麗子にとってこの時間はどんな贅沢な食事よりも大切な時間だった。こんな時間がずっと続けばいいのに。麗子の思いとは裏腹にグラスの中の小宇宙は溶け切ったアイスクリームの残りと薄くなったコーヒーに変わっていく。  すっかり空になったグラスを麗子はただじっと見つめている。家に帰るのもおっくうだったが、追加の注文を頼めるほど麗子に金銭的余裕はなかったからだ。このままここにいてもどうしようもないことを悟った麗子は家に帰ることにした。レジの隣に店のおすすめであるドーナツが目に入ったので家族のお土産に買うことにした。財布の事情は寂しかったのは事実だが、何も考えずにただでぼーっとしていたと報告するだけでは母の清美に何を言われるかわからないと考えたからだ。 「合計で950円になります」  少し目つきの悪い女性の店員が用意された言葉で応対をする。麗子が1000円札をキャッシュトレーの上に置くと彼女は機械的にレジを打ち終え、淡々と小銭をトレーの上に置いた。麗子は遠慮がち小銭を受け取り、小さく会釈をしながら喫茶店を後にした。                                      
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