18、釘を刺される

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 歴史上、女に溺れて道を誤り、人生を破滅させ、国を傾けた愚か者は数えきれないが、桜井も今、その気持ちがようやく理解できる。  何もかも捨てて、この沼の底に沈んでしまいたい。その誘惑に足を取られながら、顔見知りになった図書館司書(ビブリオテケール)の協力の下、手書き文書の撮影に勤しむ。  デジタル写真のピントが合っているか拡大してチェックし、文書番号を間違えないように打ち込んで。時刻を確認しようと左腕を見て、時計を杏樹に貸していることを思い出し、胸ポケットからスマホを出して時刻を見る。――午後三時。杏樹は今日は、リシュリュー館に近いルーブル美術館を一人で回っている。四時に、ルーブルのガラスのピラミッドの前で待ち合わせの約束だ。    そろそろ片付けるか――とスマホをポケットに戻そうとしたところで、それが振動を始める。  ――アンジュ・祖母  着信元の表示に桜井の心臓が跳ねる。――そして同時に、昨夜のあの、心の修羅場が甦る。  桜井はゴクリと唾を飲み込み、足早に閲覧室を出て、通話可能な廊下の隅に歩み寄る。 「もしもし」   
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