21、羽田の別れ*

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 明らかに三百ユーロどころでない分厚い封筒に、桜井がグッと眉間の皺を深くする。札束の厚さは、杏樹の祖母の拒絶の壁の厚さに比例する。だが受け取らないわけにもいかず、桜井が封筒を手に取れば、丹羽が杏樹を急かす。 「じゃあ、お嬢様、参りましょう。奥様がお待ちです」 「あ、あの杏樹……」  何か言おうとした桜井に、杏樹があっと、思い出す。 「時計! 借りっぱなしで!」  杏樹が慌てて左腕の時計を外し、桜井に差し出す。 「、本当にお世話になりました。ありがとうございます。……お元気で、さようなら」 「あ……うん」  時計を押し付けられるような形で受け取って、桜井は言葉を探しているようだったが、杏樹はそれを待たずにもう一礼して、丹羽にスーツケースを預けて桜井に背を向けた。  背中に桜井の視線を感じたけれど、杏樹はぐっと唇を噛んで、最後まで振り返らなかった。
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