23、皐月の茶会

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23、皐月の茶会

 ゴールデンウィークの翌週の日曜は、京都嵐山(あらしやま)和泉(いずみ)家本家で、毎年恒例の茶会が開かれる。池に面した座敷は障子を取り払い、広大な庭には野点(のだて)用の毛氈(もうせん)を敷き、新緑の中、和泉家にゆかりのある多くの客人をもてなす。    和泉家本家、十六代目和泉四郎左衛門(しろうざえもん)は世界最古とも言われる和泉財閥の当主で、財界の「天皇」とも称される。  その名の通り、グループ企業の実質的な経営には一切、タッチしない。まさしくグループ結束の象徴である。  ――和泉財閥は五つの番頭家がそれぞれの分担分野を統括して経営を担う。戦後の財閥解体を経てもグループ内の結束は強く、和泉家当主の権威と求心力は隠然として残っている。    和泉家本家当主が傘下の企業や得意先を集めて自らもてなし、親睦を図り、同時に和泉家の影響力を誇示する。その嵐山本家の春秋の大茶会に、五十年ぶりに北川苑子は招かれた。――二度と招かれることなどあるまいと思っていたのに。  初めは、茶会のために青花白磁の「花入(はないれ)」を貸してくれ、という要請であった。
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