30、君の中で死にたい*

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30、君の中で死にたい*

 ようやく二人っきりになって、雅煕は杏樹を抱きしめる。  窓の外は、小雨に濡れた灰色の空がどんよりと垂れこめ、東山の深緑の峰は濃い靄に霞んでいる。  ――本当は高い所が苦手で、窓の側には寄りたくない。でも、杏樹を抱きしめたいという気持ちの方が強かった。愛――いや、欲望かもしれないが――は高所恐怖症に勝つ。     前触れもなく京都にやってきた杏樹。荷物はパリで買ったトートバッグ一つだけ。通学カバンにすると言っていたし、カバンの口からルーズリーフのノートが覗いていたから、大学に行く予定を変更して来たのかもしれない。  初夏に相応しい白いブラウスに、グレーのふわっとした二重のスカート。足元はヒールの細いストラップサンダル。肩を過ぎる栗色の髪が相変わらずまっすぐでサラサラ。ぱっつん前髪の下の大きな瞳が潤んで、不安そうに揺らめいている。――ちょうど、パリで出会った時のように。    ――いったい、何が。そもそも、今まで一度も連絡をくれなかったのに。どうして、今になって突然――
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