37、東京サクラホテル

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 長い道のりやったと、晴久は感慨深く思い出す。  四郎左衛門の唯一の息子、和泉(いずみ)(はるか)がカリフォルニアで、交通事故で死亡したのが三十年前。  制約の多い日本を離れ、アメリカの解放的な空気に飲まれた玄は、女に騙されて違法ドラッグに手を出し、ラリッてハイウェイで運転を誤ったのだ。  その一年後に生まれた長女由美子の次男・雅煕を後継者と決めた四郎左衛門は、玄の教訓に鑑みて、海外留学を禁じた。  本来は、関西からも出すつもりはなかったらしいが、それではいくら何でもと、晴久や雅煕の父が説得して、東京の大学への進学を認めたのが十年前。    四郎左衛門は雅煕に女性が群がることを恐れた。――雅煕は(眼鏡さえ外せば)涼し気な美青年で、財閥の跡継ぎと知られれば、女たちが放っておくはずはないと、晴久も思った。しかも、男子校育ちで女性に免疫がない。 『許嫁(いいなづけ)でもおれば、女たちも遠慮するやろ』  四郎左衛門の意向で選ばれたのが、有賀電機の社長令嬢だったが、結局のところ、そんな理由の婚約が上手くいくはずはなかったのだ。
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