37、東京サクラホテル

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 雅煕は婚約者に対してまったく興味を示さず、婚約者は雅煕の友人と関係を持ち、婚約は破談に至る。その後の騒動は、生真面目で繊細な雅煕の神経を直撃し、世間から目を背けるように、象牙の塔に引きこもってしまった。  あれから六年、女っ気なしだった雅煕が、パリでようやく見つけた恋人。 (まあ、今日さえ無事終われば、後はラブラブの二人やさかい……)   などと思いながら、卓上のコーヒーに手を伸ばした時。  玄関のガラス張りの回転扉から、鮮やかな翡翠色がロビーに飛び込んできた。  振袖の長い袖が翻る。黒地に金糸の雪輪紋の袋帯は、背中でふくら雀に結われ、帯揚げは薄紅色。整った横顔にやや抜いた衣紋から覗く白い襟足が清楚で、かつ色っぽい。 (こんな暑い日に振袖――見合いか、結婚式か。でも今日は平日やで? ……ってあの子、見たことあるような――)  振袖娘は白いハンドバッグを抱えて周囲を見回し、フロントには寄らずに奥のエレベーターに向かう。晴久の頭の中に警鐘が鳴り響いた。  何かがおかしい。ホテルマンの勘が告げる。
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