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37.僕は利用されない
蒼太が歯切れ悪く言葉を重ねる。
「捜査一課は一刻も早く事情聴取をしたがってるんだが、それより先に、彼女を懐柔したいらしい──」
やっぱり公安か。
「──昨夜から、担当部署の刑事が来てて、今朝も彼女に接触したんだが、うまくいかなかった。少女がだんまりで」
「蒼太も立ち会ったのか?」
「もちろん。本当は心療の医師を伴いたかったんだが」
「捜査員たちを前に、怯えてる様子はあったか?」
「それはなかった。完全に無視してる感じだったな」
「無視か……」
「会った方が早い。先入観持ちたくないだろ?」
ふぅん、それは言えてる。
蒼太はポケットからICレコーダーを出して、テーブルに置いた。
「これに録音して、終わったら俺が受け取れって。病院のどこかに公安が潜んでるよ。終わったら俺のところに、取りに来る手はずになってる」
相田藍奈と話せるなら願ったり叶ったりだが。だからといって、ほいほい乗るわけにはいかない。
「ちゃんと事情聴取すればいいだろう。なぜこんなやり方をする?」
「俺だって知らん」
「むぅ……」
確かに蒼太だって、伯父さんに言われたのでなければこんなやり口、憤慨して突っぱねたはずだ。
蒼太もわかってはいるだろうが、由利も言わなければならなかった。
「蒼太、僕は精神科医だ。守秘義務がある。医師免許剥奪される可能性もある。彼女と話はしたいが、こんなやり方は同意できない」
「全くその通りだ」
蒼太も頷く。
「だったら」
「だからこそ、タカくんなんだよ。断っても、公安はしつこいぞ。タカくんはすでに巻き込まれてるからな」
「う」
「なら、俺はタカくんが話すべきだと思う。主導権を握れ」
「主導権か……ん、利用されるつもりはないからな」
「ICレコーダーはお茶でもこぼして、壊して、内容が聞けないようにしよう」
蒼太が言いながらICレコーダーを掴むので由利はとっさに「待て」と手を取った。
さりげなく蒼太の脈をみたが、激しく乱れている様子はない。隠し事をして、由利を罠にかけるつもりはないようだ。公安は平気で脅迫する。度しがたいクソ組織だから、蒼太の家族を冤罪で逮捕もやりかねない。警察官僚の伯父さんが公安畑なら違っただろうが。
ふぅ……
相田藍奈を心配して、由利に任せたいのは本心のようだ。
由利は幼なじみの蒼太には全幅の信頼を寄せているが、いつごろからか、重要な局面で、相手の心理を探るクセがついていた。表情を読めなくても、心拍数や顔色の変化はわかりやすい。
我ながら嫌な人間になったものだと思う。
「レコーダーは壊すな。僕が相田藍奈と話しておいて、壊れたなんて言ったら、公安に拉致されて、拷問されるのは僕だ」
「拷問って」
蒼太はぎょっとしたが、大げさだとは笑わなかった。
由利が江藤の暴力を訴えようとしていたとき──
看護師の聞き込みをしたり、江藤が知哉に暴行した現場を調べたりしていたとき、公安の車に引きずり込まれて、殴る蹴るの酷い暴行を受けたことがあった。
手を引け、騒ぎ立てるな、と散々脅しつけられた後、人の通らない道端に捨てられたのだ。車から蹴りだされて。
あのときの恐怖は尋常ではなかった。怪我は3週間で治ったが、一人で出歩けるようになるまでに、半年もかかった。
組織ぐるみの隠蔽工作でここまでやるのかと、最初は信じられなかった。
今思えば黒谷が手を引いたのは、由利が暴行を受けた直後だった。
そう遠くもない記憶だったために、思い出して、すっかり血の気が引いた。
精神科医だからといって、命の危機を感じるほどに痛めつけられた記憶を拭い去るのは難しい。
冷たくなった手をきゅっと握り、震えを抑える。
「タカくん、大丈夫か?」
「大丈夫なわけあるか」
蒼太まで青ざめている。由利が苦しんだとき、一番近くで支えてくれた幼なじみだった。
「ごめん。俺がうまくやれたらよかったのに、くそっ」
「いや、最初に頼んだのは僕だった。謝るのは僕のほうだ」
要するに相田藍奈との会話は録音しつつ、公安に情報を渡さなければいいのだ。
「藍奈の付き添いは誰だ?」
「叔母にあたる人で、相田芙佐子だ」
「わかった。彼女に同意を得よう。カルテを作るために会話は録音すると。ただ、藍奈にはそのことは伝えない。録音されるとわかったら、今よりもっと話さないかもしれない」
「わかった。そこはタカくんに任せる」
「時間は?」
「彼女はまだショックが残っているし、精神的な疲労もあって衰弱してる。せいぜい30分程度か。そこはタカくんが判断してくれ。部屋は時間を気にせず使える」
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