86話 いつまでも穏やかに

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86話 いつまでも穏やかに

 暖かな陽射しが降り注ぎ、芽生えた草花をキラキラと輝かせる。  風は穏やかで優しく吹いて、蝶々や蜂達が花の周りを飛び交い春の訪れを知らせている。  今日はそんな穏やかなよく晴れた日だった。   「ちょ、ちょっと、待ってくれよ! ジョエル!」 「待たない。急いで行かないと間に合わない。私一人で先に行くから」 「まだ時間はあるだろう?!」 「その前にお嬢様に会うの!」 「あぁ、だから待ってってー!」  バタバタと走っているジョエルの後ろを追いかけるように走っているのはダニエルだ。  ダニエルは今は行商人として働いているが、昔は傭兵だった。体格はよく、筋肉もしっかりついているが走るのは苦手らしく、駆けて行くジョエルになかなか追いつけない。  それでもジョエルはいつもよりは遅く走っている。というか、上手く走れてはいない。慣れないヒールを履いているし、スカートが足に纏わりつくような感じがして、どうも前に進みにくいのだ。  後ろからついてくるダニエルも、慣れないピチピチのスーツで走りにくそうであった。  そんなダニエルを置いて、ジョエルは先を急いだ。 「遅いですねぇ、ジョエルさん。式の前に顔を出すって言ってましたのに」 「そうね。ダニエルと参加するって言ってたから、用意が遅れちゃったのかな?」 「私、初めてダニエルさんって方にお会いするので、それが凄く楽しみなんです! あのジョエルさんのハートを射止めた方って、凄く気になりますからね!」 「私も楽しみよ。ダニエルの事、ちゃんと覚えてないから二人はどんな感じなのか見てみたいわ」  シオンとメリエルは顔を合わせて、ふふふって笑い合った。その時、扉がノックされてジョエルがやって来た。 「遅れて申し訳ありません! お嬢様!」 「ジョエルさん……綺麗……」 「本当に……やっぱりジョエルはドレス姿も似合うのね」 「あれ? ダニエルさんは?」 「遅いんで置いて先に来ました」 「薄情ですねぇ」 「ダニエルとラブラブなところ、見たかったのにー」 「わ、私達の事より! お嬢様、凄くお綺麗です! 公爵様にあげるのが勿体無いです!」 「何が勿体無いだ」  開けられた扉から、リュシアンが呆れたようにジョエルを見るが、シオンを見た途端にその表情は一気に綻んだ。 「シオン……綺麗だ……凄く……」 「その、リュシアンも、凄く格好良い、です」  二人は互いを見て顔を赤らめている。そんな二人のやり取りを見て、メリエルは微笑ましくなり、ジョエルはフゥとひと息ついてから微笑んだ。  しばらくシオンとリュシアンの周りは二人だけの世界になっていて、それをジョエルとメリエルがそっと見守るのはいつもの事であった。   「そろそろお時間です」  係りの人がそう声を掛けに来ると、仕方がないとばかりにリュシアンが名残り惜しそうにシオンから離れていく。  メリエルがもう一度口紅をシオンの唇に塗り直してから、そっと上げていたベールを下ろした。   控室から出てリュシアンの待つ場所へ……  大神殿の大きな扉が開かれると、両脇にはモリエール家の使用人達に、騎士団達がいた。知り合いの少ないシオンにはそれでも充分で、少しずつだが仲良くなれていけた事もあって、身近な人達に祝って貰える事をシオンはとても嬉しく感じていた。  その一番前には長い髪をハーフアップに纏め、ドレスで着飾ったジョエルと、汗をハンカチで拭っているダニエルがいた。  シオンは皆の顔を確認しながらゆっくりゆっくり進んで行く。祭壇にいたリュシアンはシオンを見つめていたが、堪らずに近づいていき、そっとシオンの手を取った。 「ごめん、やっぱり一緒に行きたくなった」 「私の足を気にしてくれたんでしょう? すぐに甘やかすんだから」 「まだまだ甘やかしてあげたいんだ。シオンはなかなか甘えてくれないから」 「そう、かな……」  小さな声で話しながら、二人は微笑み見つめ合いながらゆっくり進んで行く。  正面にはエルピスの女神像。その前に置かれた祭壇には大司教ルーベンスがいる。  二人で祭壇まで進んで行くと、微笑ましく見ていたルーベンスが誓いの言葉を読み上げる。シオンもリュシアンも、これからの人生を互いに寄り添い尽くす事をルーベンスと女神様に誓うと宣言をした。  それから指輪を互いの指に嵌めていき、そっとリュシアンはシオンのベールを上げた。  見上げるシオンの瞳は潤んでいた。今にも溢れそうな涙を堪えるシオンがリュシアンには可愛らしく思えて仕方がなくて、そのまま思いっきり抱き締めてしまいたい衝動を諫める為に、何とか理性を保とうと深く息をする。  そっと目を閉じるシオンに顔を近づけ、整った柔らかな唇にリュシアンは唇を重ねた。  参列者達から大きな拍手があがる。唇を離したシオンは恥ずかしくなって思わず下を向くが、リュシアンは突然シオンをフワリと抱き上げた。     「リュ、リュシアン!」 「これで私達は皆にも認めて貰って夫婦となった。きっと女神様も認めてくれた筈だ」 「そう、かな。ちゃんと私から女神様に言ってみたい」 「あぁ、そうだな」  シオンはリュシアンに抱き上げられたまま、女神像エルピスを見上げる。 「女神様、私が願った事は今日で全て叶えて貰えました。綺麗なドレスを着て、結婚式を挙げたいって、ノアの時からの夢だったんです。ありがとうございます。感謝致します。これからもこの街の人達を、この国の人達を、そして私達を見守っていてください。私はリュシアンと共に、幸せに暮らしていきます」  シオンが女神像に向かってそう告げた瞬間、女神像が突然眩しく輝き出した。思わずその場にいた人達全員がその眩しさに耐えられず目を閉じる。  眩しさがなくなって、一同がゆっくり目を開けるが、特に何か変わった様子は見受けられなかった。  それでも、今のは一体何だったんだろうと、皆が不思議に感じて辺りをキョロキョロしながらこの現象を口々に話している。   「シオン、大丈夫か?」 「あ、うん。大丈夫……って言うか……」 「え? 何かあったのか?!」 「ううん、そうじゃなくて、本当に大丈夫になった、みたいな感じがする……」 「シオン? 何を言って……」 「ねぇ、リュシアン、ちょっと下ろして欲しいんだけど……」 「良いのか? 私は疲れてないし、シオンは全く重くはないぞ?」 「それも気にはなったけど、そうじゃなくて……」 「分かった」  言われてリュシアンは抱き上げていたシオンを下ろす。地に足をつけたシオンは何度か足踏みをし、それから両手を握っては広げてを何度も繰り返す。それを見たリュシアンも、驚きで声が出なくなった。 「リュシアン……私、足、ちゃんと動く! 右手もちゃんと動かせられるよ!」 「本当に……?」 「うん! 引き攣れてるような感じもないし、痛い所もない! 私、今なら走ったり飛び上がったり出来ると思う!」 「あぁ、シオンっ! 良かったっ!」  リュシアンはシオンを抱き締めた。今度はリュシアンが泣いているようだった。抱き締めながらリュシアンは何度も 「ありがとうございます! ありがとうございますエルピス様! 女神様!」 と感謝の言葉を言い続けていた。  リュシアンがそうやって涙ぐむから、シオンもつられて涙が出てしまって、二人で抱き合ってしばらくの間泣いてしまうのだった。  そんな二人を皆が温かい目で見守っていた。  シオンの体からは、至る所にあった傷痕が跡形もなく無くなっていて、それによる障害も全て無くなっていたのだ。  その現象を知った使用人達は、シオンをエルピスの女神様の愛し子だと悟ったのだ。  そうやってシオンとリュシアンの結婚式は、ルマの街の人々にも祝福をたくさん貰い、街中がお祝いムードとなった。  そして翌年からはその日を祝福の日とし、お祭りが行われる事となっていったのだった。    その後、モリエール領はこの国のどこよりも発展した地域となった。領民は豊かで長寿であり、この地域は幸福度No.1の称号を何年も独占する事となっている。  医療の発展も目覚ましく、病に苦しむ人々が極端に減り、それ故に元気に働く領民のお陰で更に経済は潤っていった。  それを統治する公爵と公爵夫人は仲睦まじく、時折視察と称して街にやって来ては領民達と楽しく過ごしていくのだそうだ。  ルマの街の大神殿で結婚式を挙げると女神の恩恵を受けられるとし、その後ここは結婚式の予約が何年先も埋まる程に人気の場所となった。  そうしてモリエール領は、幾年にも渡って発展し続ける事となる。  人々はルマの街を、『愛し子の街』と呼ぶようになった。  それは公爵夫人がまことしやかにエルピスの女神様の愛し子であるとされ、その恩恵が今もなお続いているからだ。  それはいつまでも穏やかに  そうしていつまでも穏やかに続いていく                     《完》
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