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「髪は?下ろす?結う?」
「下ろして。ありのままの姿…描きたい。」
「そ。じゃあ、少しだけ待って?櫛で梳かすから。」
「うん。」
そうして鏡台に向かう絢音を一瞥して、藤司はカバンから鉛筆とスケッチブックを取り出し、デッサン場所に決めた洋間に向かう。
ここで、2枚の絵を描きあげて眠ってしまえば、朝が来れば、この恋は終わる。
初恋は実らない。
クラスメイトで友人の笠原が、そう言って人目も憚らず涙を流して号泣していたのを、男のくせに女々しく馬鹿らしいと一蹴して、見下し嗤っていたが、まさかこんなに切なく苦しいものだとは思っても見なかったので、明日学校に行ったら、缶ジュースでも奢って、あの時はすまなかったと詫びよう。
沙織にも、こんな自分でよければ付き合って欲しいと、伝えなければいけない。
立ち止まったり、振り返ったりする余裕など、無いのだ。
そう思わないと、胸が押しつぶされそうなくらい辛く苦しくなるので、とにかく前を向けと、必死に自分を叱咤していると、絢音がやってくる。
「お待たせ。」
「ん。ほんなら脱いで、そこ…寝そべって。」
「うん…」
頷き、何の躊躇いもなく帯を解き、ストンと、浴衣が床に落ち、一糸まとわぬ絢音の白い後ろ姿が視界に飛び込む。
「綺麗や…」
自然と、口をついた言葉。
ゆっくりと身体が前を向くと、均整の取れた日本女性らしいしなやかで美しい体躯に、藤司は息を飲む。
「こう?」
「あ、もうちょいこっち向いて。目線も、ワシの方…見てて。」
「分かった。見てる。あなたが描き終わるまで、ずっと…だから、綺麗に描いてね?」
「うん…」
そう言って納得いく構図にすると、藤司はスケッチブックに鉛筆を走らせる。
「…ホンマに、同じトウジやのに、なんで神さんは、こない不公平なんにゃろ。片っぽには、あんな立派な仕事と、こんな綺麗で優しい嫁さん与えて、ワシには…こないに惚れた女との思い出、忘れ言う上に、絵ぇにして残すことしか、許してくれへん。辛すぎる…」
「そんな事ないわ。言ったでしょ?いつかあなたにも、生涯かけて愛そうとする人が現れるって。まだ18じゃない。これからよ?大学なんて行ったら、勉強も大変だけど、楽しい事沢山あるわ。好きな人だって、できたんでしょ?私のことなんて、簡単に忘れられるわ。」
「みくびんなや!!ワシ、そんな中途半端な思いで、こないなことしてへん!!そんな中途半端な思いでお前に、愛してるなんて、言ってへん!!ホンマに、本気やったんや。今かてずっと、時間止まってくれて、願っとんや!簡単なんて、言うな!!」
「藤司…」
「…決めた。ワシ…意地でも検察官なる。なって、あの人と肩並べられるくらい、強うなる。そしたら今度は、今度こそは、お前を賭けて、正々堂々、男として勝負申し込む。何年かかってもええ。きっと土俵に上がる!!せやから、もし勝ったら、その身体、抱かせてもらうからな?そのつもりで、待っとって。」
「…分かった。待つわ。だから、目一杯いい男になって頂戴。藤次さんにも、しっかりあなたの思い、伝えておくから…」
「…頼むわ。ワシ、絶対負けへんから。絶対、勝つから。ワシに塩送った事、死ぬ程後悔させたる。何があっても、絶対挫けん!強くなる。心も、身体も、何もかんも、強うなる!!」
言って、藤司はグイッと、浴衣で涙を拭う。
「もう、泣くんは終いや。もし次泣く日が来るんやったらそれは、お前を好きやと、愛してると、お日さんの下で堂々と言える…結婚した時の、嬉し泣きや…」
「そんな誓いはやめなさい。涙ってね、ただ流すだけじゃないの。心を浄化させる、大事な要素なの。折角そんな綺麗な心なんだから、世の中に出て、沢山の汚物で汚したまま生きるより、泣いて泣いて、涙で洗い流して、綺麗な心のままでいて頂戴。お願い…」
「嫌や。どんなに汚ななってもええ。と言うか、汚くならんと、勝てへん。譲ってもらうんやない。奪うんや。どんな手だって使う。犯罪以外なら、手段選ばん。本気や言うの、分からせたる。」
「なんで、そんな辛い道歩こうとするの?女なんて、沢山いるじゃない。目移りしなさいよ!お前みたいなババアに惚れてたなんて、悪い夢やったって言って、さっさと忘れなさいよ!!」
「それができるなら、とっくにやって楽になっとるわ!!!でけへんから!忘れられんから!決めたんや!!もう、忘れるの、止めるて。…のし上がるための政略結婚ならするけど、ワシがホンマに結婚したいんは、愛したいんは、絢音だけにする。男の決意や。口出すな。集中したいさかい、もう…黙って。」
「バカよ…なんでトウジって、そんなにバカで、真っ直ぐなの?あたしなんて、あなた達に取り合ってもらう程、価値のある女じゃないのに…」
「黙って言うたやろ。もう、決めたんや。トウジの名前に賭けて、絶対、お前をモノにする。」
「バカよ…もう、知らないからね。後悔しても…」
「せえへん。初恋は実らん言うジンクス、ワシはぶち壊したる。これは、ワシの一生かけた、たった一回の、本気の恋愛や。」
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