初恋

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そうして、2人のトウジの戦いは始まった。 毎日学校を終えると、藤司は絢音の待つ家に向かい、藤次が帰って来るまで自主学習をして過ごし、彼が帰ってくると、3人で食卓を囲んだあと、受験と法律学を学び、日付けが変わる前に帰宅する。 そんな毎日を過ごして、メキメキと成績を上げていき、模試でも志望大の判定Aをもらえるようになり、学内試験でもトップを取れるようになり、迎えたセンター試験前日。 「えっ…?」 「せやから、センター試験の間、ワシ他んとこ泊まるから、絢音と2人きりで、ここで夜過ごして、ここから試験会場行き。」 「けど…」 激励にと作られたカツ丼を頬張る藤次の口から出た意外な言葉に戸惑っていると、彼は茶を啜り、複雑そうに笑う。 「そりゃあ、ワシかてホンマは嫌や。せやけどこの一年と少し、お前ホンマによう頑張った。せやから、同じ女に惚れた、同じ名前の男からの、せめてもの餞や。親御さんにも絢音にも、話通してる。せやから、少しの間だけやけど、絢音と甘い時間過ごし。そんで、必ず合格…取って来い。ええな?」 「は、はい…」 * 「…………」 夜。 受験に必要なものと着替えを、2階の文机の上に置いて、藤司は後ろのダブルベッドに目を向けて、ドキドキと胸を高鳴らせていると、トントンと階段を登る音がして、襖が開き、絢音がやってくる。 「準備…できた?」 「あ、はい…」 「そ。」 短く呟き、2人でベッドに向かい合わせで座ると、絢音はそっと彼の手に何かを握らせる。 不思議に思い手の平を開くと、合格と手縫された、小さな黒のお守り。 「藤次さんの、着なくなったスーツの端切れで作ったの。ご利益あると思うわよ?明日は、あなたの大好きな甘めの卵焼き、朝ごはんで出すわね。お弁当は、リクエストある?」 「あ…じゃあ、あれ…得意料理って言ってた、唐揚げ…」 「分かった。朝早く起きて、揚げたて入れて持たせてあげる。他には?何かして欲しいこと、ある?…さすがにセックスは、藤次さん裏切りたくないから無理だけど、それ以外なら…言って?」 「わこてます。絢音さんが、藤次さんホンマに好きやってこと、ようわこてますから、ワシもそないな事、よう言わしません。せやけど、一個だけ…わがまんま聞いてください。」 「うん。なあに?」 優しく見つめる彼女に、藤司はキュッと、パジャマの裾を握りしめて、ゆっくり口を開く。 「ワシ…いや、僕のファーストキス…もらって下さい。」 「いいの?こんなオバさんが最初で?」 「ええです。こんな気持ちになったのも、検察官目指そう思たんも…僕の退屈な人生変えてくれたんは、絢音さんです。ホンマに、好きなんです。今でも。せやけど、合格したら、もう、会えへん。諦めなあかん。せやったら、一個でもええんです。あなたを好きやった言う思い出…僕に下さい。」 「……分かった。じゃあ、2人きりで過ごす間は、おはようといってらっしゃいとただいまとおやすみのキス、しましょ?じゃあ、ちょっと待っててね?折角の最初だから、お化粧して、ちゃんとしてくるから…」 「ハイ…」 そう言って寝室を出て行く絢音の小さな背中を見送ると、この一年と少しの時間が一気に脳裏に去来して、藤司の頬に涙が伝う。 初めて好きになって人には、既に好きな人がいて、その人は、自分の仇を討ってくれた人だった。 藤次の教えは、決して優しいものではなく、課せられた課題は難物ばかりで、何度も挫けそうになったが、その度に支えてくれたのは、絢音の笑顔だった。 「(あなたを本気で検察官にしたいからなのよ。)」 「(あなた帰った後、藤次さん褒めてたわよ。)」 「(少し息抜きしたら?肩揉んであげる。)」 「なんで、もっと早よう、出会えんかったんや。何でもっと、早よう…生まれられんかったんや…」 …違う。 そんな陳腐な後悔じゃない。 「(藤次さん…)」 3人でいる時間の中で、絢音がどれだけ、藤次を愛しているか、痛いくらい思い知らされて、自分が一目惚れしたあの幸せそうな顔は、藤次がさせているのだと知った今、彼に敵うはずがないと思う反面、寧ろ、藤次を好きでいる彼女を、自分は好きになったのだと知り、2人を引き離してまで、絢音にそばにいて欲しいと思う気持ちは、最早なくなっていた。 センター試験の模擬試験も、充分な余裕で合格ライン。余程のことがない限り、大学合格は確約されている。 だから藤次も、こんな…気持ちを整理する時間を、くれたのだろう。 「最初から、ワシあの人の、敵ですらなかったんやな…」 そうして苦笑していると、襖が開き、綺麗に髪を整えて、薄化粧だが色っぽい紅の引かれた唇が印象的な、寒牡丹の柄の浴衣を着た…今まで見たこともない、美しい絢音が現れたので、藤司は顔を真っ赤に染める。 これが、自分の初恋の女(ひと)… 心臓がバクバクと高鳴って、苦しくて、切なくて、彼女に誘われて一つのベッドに横になって布団を被り、見つめ合っている内に、ゆっくりと絢音が目を閉じたので、初めて触れる彼女の小さな身体を抱きしめて、ありったけの想いを告げる。 「好きです…」 「うん。私も、好きよ……藤司…」 「!」 初めて名前を呼び捨てされ、好きと言ってくれた… 込み上げてくる愛しさに身体を震わせながら、そっと…震える唇を彼女の唇に押し当てると、涙の味がして、一層胸が苦しくて、涙が出てきて、嗚咽を殺して泣いていると、ゆっくりと甘い梅の香りと共に、絢音の手が両手の頬に触れて、先程の…唇を押し付けただけのキスとは違う、うっとりするような甘いキスをされ、藤司は目を見開く。 「絢音さん…」 ただただ呆然とする藤司に、絢音はにこりと微笑む。 「上手にできたじゃない。キス…」 「いや。ワシは…」 否定しようとした唇を指で押さえられ、絢音はまた微笑む。 「さっきのが、ファーストキス。あなたがしたの。ね?そうでしょう?」 「……ッ!!」 ギュッと、抱き締める腕に力がこもり、声を上げて自分の胸で泣く藤司の頭を優しく撫でながら、絢音はゆっくりと言葉を紡ぐ。 「大丈夫…大丈夫…あなたも、いつかきっと、巡り会えるから。生涯かけて、愛する人が。そうしたら、一番に教えてね?私…待ってるから。約束…」 「ハイ…」 そうして、もう一度キスをして、藤司は絢音に抱かれたまま、幸せな眠りに落ちていった。
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