初恋

5/11
前へ
/13ページ
次へ
「はい。これで、準備OKね。受験票は?」 「うん。持った。ありがとう…」 朝。 玄関先で絢音に制服のブレザーのネクタイを整えてもらい、藤司は赤い目をしながらも頷く。 「じゃあ、約束ね。いってらっしゃいのキス、しましょ?」 「うん…」 そうして肩を抱き、ゆっくりと顔を近づけて、昨日の絢音のやり方を思い出しながら、優しく唇を重ねる。 「頑張ってね…お夕飯、リクエストあったら、15時までにメール頂戴。」 「うん…ほな、いってくる…」 「うん。いってらっしゃい…」 そうして見送らせて、長屋を後にすると、路地の出口で、待っていた藤次に出くわす。 「あっ…」 「なんやねん。しみったれた顔して。大一番やろ?しゃんとせぇ!」 バンと背中を叩かれて瞬いていると、藤次は鞄から一冊のノートを取り出す。 「?」 「ダメ押しの一冊や。今年のセンター入試…ワシなりに分析して、出題の傾向と内容、整理してみた。あんじょう気張りや。あと、絢音…大事にしたってな。今は、今だけは、お前がアイツの、亭主や。」 「あ、ありがとう…ございます…」 「別に。礼なんていらん。敵に塩を送っただけや。…ここまで手厚う送ったんは、お前が初めてや。落ちたりしたら、張っ倒すだけじゃ済まんからな?覚悟せぇよ?」 「はい!」 「ん。ほんなら、早よ行き。遅刻すんで。」 「はい!ありがとうございます!!行ってきます!!」 そうして藤次に見送らせて、藤司は最寄りのバス停からバスに乗り、試験会場へと向かう。 車内で、絢音のくれたお守りを握りしめて、藤次のくれたノートを開き、最後の追い込みをしていると、桶本が近くにやってくる。 「おはよう。」 「なんや。委員長もこのバスやったんかい。」 「うん。って言うか、相原君ち、この辺りじゃないでしょ?なんで、さっきのバス停から乗ってきたの?」 「別に。委員長には、関係あらへんにゃろ?」 「そりゃ、そうだけど…ねぇ、何で急に、検察官なんて言い出したの?…楢山さんが、目指してるから?最近、よく話してるし…付き合ってるの?」 「んなわけあるかい。そんな余裕ないわ。志望大が一緒やから、傾向と対策、聞いとっただけや。それに、何遍も言わすな。委員長には…関係ないやろ。」 「なによ…」 「ん?」 声が震えていたから横を見やると、顔を真っ赤にして涙目の桶本がいた。 「い、委員長…?」 「もう、知らないっ!」 瞬く藤司に、キュッと踵を返してバスの奥に去って行く桶本を見つめる。 あの顔は、自分が絢音を思って涙を流す様と、同じではないか… なら… 「まさか…な。」 呟いた瞬間、試験会場に通じる最寄りのバス停がコールされたので、藤司は停車ボタンを押した。 * 「た、ただいま…」 1日目を終えて、ドギマギしながら玄関の引き戸を開けて声を上げると、パタパタと足音がして、絢音が出迎えてくれる。 「おかえりなさい。お疲れ様。」 「うん…」 「鞄とコート貸して?お夕飯まで時間あるけど、オヤツにする?お昼に急に食べたくなってホットケーキ焼いたんだけど、その余り温めましょうか?それとも、息抜きに散歩にでも行く?」 「あ…あの…」 「ん?」 不思議そうに自分を見つめる絢音に、藤司はポツリと呟く。 「先に…ただいまのキス、したい。」 その言葉に、絢音は困ったように笑う。 「いやあね。甘えん坊さん。そんなに寂しかったの?」 「そんな……子供扱いせんでくれ!!ワシは今、お前の亭主や!亭主がしたい思うんは、当たり前やろ!?早よ!して!」 そう言って詰め寄ってくるので、絢音はまた笑って、彼のネクタイを引いて屈ませると、チュッと、音を立ててキスをする。 「…これで良い?あなた?」 「うん。ええ…」 「そ。なら、この後どうするの?散歩?オヤツ?それとも勉強?」 「腹減ったから、オヤツ。あと、疲れたから、肩…叩いて。あと、できればでええんやけど、膝枕…して欲しい…」 「…分かったわ。じゃあ、お家でゆっくりしましょうね。できる限りのこと、してあげる。夫だものね。」 「うん。ワシは夫で、お前は、ワシの…妻や。」 …飯事でも良い。 今この瞬間、自分は絢音の夫で、絢音は、自分の妻。 明日で終わる、儚い飯事だが、それでも良い。 今だけ、今だけ、そう心に言い聞かせ、藤司は絢音との切ないくらいの甘い時間に、身を委ねた。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

19人が本棚に入れています
本棚に追加