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絢音に導かれてやって来た露天風呂は、小さいながらも小庭があり、落ち着いた大人の雰囲気が漂っており、藤司はドキドキと心臓を鳴らしながら、服を脱いでいく。
ふと、背後を盗み見ると、着物の隙間から絢音の白い頸と背中が見えたので、益々心臓が鼓動を早める。
「…準備、出来たで。」
「うん。私、もう少しかかるから、先、入ってて?」
「うん…」
頷き、扉を開けて浴室に入り、かけ湯をして、取り敢えず前だけ洗おうと石鹸を取り洗っていたら、扉が開く音がして、見やると、小さなタオル一枚でこちらにやってくる絢音がいて、藤司はサッと視線を外す。
「お待たせ。貸して?背中、流してあげる。」
「うん…」
タオルを渡すと、ゆっくりと丁寧に、背中を洗われ、時々絢音の肌が、身体が当たる感触がして、顔が熱を帯びるのが分かった。
好きな人と裸で2人きり。本当なら、今すぐ押し倒して抱きたい。
けど、自分にはそんな経験はまだないから、どうすれば良いか分からないし、なにより、こんなに想ってくれてる彼女の純粋な気持ちと、彼女を裏切り者にさせたくないと言う思いが混ざり合い、自分の自己満足の欲望を向ける気にはなれなくて、不思議と欲情や興奮はなく、ただただ気恥ずかしくて、切なくて、黙って俯いてると、絢音の声が耳をつく。
「どうかした?そんな、泣きそうな顔して…」
「いえ…別に…ただ、夢みたいで、嬉しくて…でも、恥ずかしくて…こういう時、どないな顔したらええのん?教えて?」
「普通で良いのよ。いつもと同じ、笑って?大切な時間だもの。笑顔でいましょう?そうだ。学校の話して?私、知りたいわ。あなたの事、もっと、もっと…」
その言葉に、藤司は徐に口を開く。
「実は、ここに来る前に、告白されてん。クラスの女子に。」
「そう。」
湯船に浸かって、肩を寄せ合って庭を眺めながら、藤司は続ける。
「クラス委員長の、桶本ってやつなんや。1年の時から好きやって…こんなワシを、貴重な高校生活、余所見せんと、一途に今まで思うてくれてたんやと思うたら、なんか…嬉しかった。」
「そう…」
「大学、離れてまうし、上手くやってけるか不安やけど、ワシ桶本…沙織を、好きになってみよ思う。よう言うやろ?失恋には新しい恋が、1番の薬やて…」
「そう…」
「なんね。さっきからそうばっか。頑張ってとか、上手くいくわとか、言うてくれへんの?」
その問いかけに、絢音は複雑そうに笑う。
「私達、今夫婦でしょ?確かに、あなたのこと知りたい。学校の事話してって行ったけど、そう言う話は、出来れば今は、聞きたくなかった…私これでも、結構ヤキモチ焼きなのよ?憎い人…」
「ご、ごめん!ワシ、デリカシーなくて……えっと、ほんなら部活!!美術部の中島先生。美術教師なのに、いっつも白衣着て、瓶底眼鏡掛けてて、頭モジャモジャで、でも、描く絵は凄い綺麗で…繊細で、切うて、どうしたらそんなん描けるんですかて、聞いたんや。ほしたら…」
「そしたら?」
問う彼女の肩を抱き、藤司は続ける。
「君も、いつか身を焦がすような恋をすれば、描けるよって言われてん。そん時は、とんだロマンチストの戯言やと嗤うたけど、今なら分かる。今なら、先生みたいな絵が描ける。せやから、頼んだんや。最期の思い出に、裸…描かせて欲しいて…」
「なら、私からも一つ、お願いしていい?」
「なに?」
「絵…2枚描いて?あなたの分と、藤次さんの分。それが、藤次さんが一緒にお風呂入るの許してくれた、条件なの。ただ、モチーフは裸じゃないの。別のもの。」
「なに?何描けば、あの人ワシを、許してくれるん?」
必死になって縋る藤司に、絢音はそっと耳打ちする。
「えっ……そんなんで、ええの?」
拍子抜けする藤司に、絢音は笑いかける。
「どう映ってたか、是非知りたいそうよ。だから、お願い…」
「わ、分かった…描く。約束する。」
「ありがとう…じゃあ、上がりましょうか。」
「うん。」
*
「わぁ……」
風呂から上がり、浴衣に着替えて座敷に行くと、絢音が徐に重箱を出してきたので開けてみると、手料理とは思えない豪華な弁当が現れたので、藤司は感嘆の声を上げる。
「朝から頑張って作ったのよ。あなたが好きだって、美味しかったって言ってくれたもの、全部詰めてみた。合ってる?」
「そんなん…覚えててくれたん?めっちゃ嬉しい…ああこれや。藤次さんと散々取り合いした、鳥の唐揚げ…今日は、これ全部、独り占めして、ええのん?」
「勿論よ。沢山食べて。私は別に用意してるから、全部…あなたのものよ?」
「ホンマに?!わあ!これもそうや!取り合いしたきんぴら。こっちのピーマンの肉詰めに至っては、中身全部先に食べられて、ワシ外のピーマンだけ食べさせられて、悔しい思いしたんや。それに…それに…」
一品一品に、それぞれ思い出があって、けど、そうして食べながら思い出すのもこれがもう最後なのだと思うと、また切なさが込み上げて来て、涙が出そうになったが、笑顔で過ごそうと言う絢音の言葉を思い出し、ぐっと堪えて、夢中になって食べ進める。
そうして空になった重箱を見つめていると、絢音がそっと隣にやってきて、膝を折る。
「膝枕に耳掻き。あなたも好きだったわね。してあげるから、いらっしゃいな。」
「あなたもって、ほんなら藤次さんも?」
「ええ。ホント、まるで親子か兄弟。やることなす事そっくりで、真面目な話する時、ワシじゃなくて僕って言うとこも、その訛り口調も、よく似てる。だからかしらね。あなたの事を、こんなに大切にしてあげたいって思えるのは…」
小ざっぱりと纏められた短い黒髪に覆われた頭を撫でながら、絢音は続ける。
「藤次さんも、きっとあなただから、ここまで許してくれたんだと思うわよ。いつもなら、私に声かけてくる男性、問答無用で突っぱねるのに、あなたと2人きりで過ごす時間と、裸を見せることまで許してくれた。ホントは優しくて、素敵な人なの。…だから、愛しているの。誰よりも、なによりも…あの人も、きっと同じ。」
「…なんやねん。さっきワシが沙織んこと話したら、嫌や言うたくせに、ワシには惚気んのかい。そないな話、聞きとうない。今はワシの方が、お前の事好きやし…愛してる…」
「いやだ。愛してるなんて、初めて言ってくれたんじゃない?ねぇ、ちゃんとこっち見て言って?こんな形じゃあ、嫌よ?」
「嫌や。そないペラペラ軽々しゅう男が言うセリフやないんや。さっきので我慢し。それより、もうちょい左…掻いて?」
「まあ!一丁前に男気取り?膝枕が大好きな甘えん坊さんのくせに、生意気ね。…ねぇ、言ってよ。こっち見て?ねぇったら!でないとくすぐるわよ?ホラッ!!」
言って、絢音が身体をくすぐってくるので、藤司は身を捩らせて笑い転げて、仕返しとばかりに彼女の身体をくすぐりじゃれあっていると、いつの間にか彼女を組み敷いていて、藤司はハッとなる。
「ご、ごめん!ワシ…すぐどくから…」
「良い。」
「えっ?!」
瞬く彼の首に腕を回し、ねだるように瞼が閉じられたので、藤司はドキドキしながらキスをすると、不意に舌で唇を舐められたので驚き絢音と呼ぼうと口を開いた瞬間、柔らかい舌が口の中に入って来て、口腔を舐めるように愛撫されるので、心地よくなり、力が抜け、堪らず彼女に覆いかぶさる。
「舌…出して…大人のキス、教えてあげる。」
「う、うん…」
言われるまま、舌を少し伸ばしてみると、舐められ、絡めて、突かれ、口で吸われ、甘い吐息が静かな室内に響く。
ツゥッと唾液の糸を引いて口が離れると、絢音は寂しそうに呟く。
「これが、あなたとする、最後のキス。ごめんなさいね。最後が、こんな下手くそで…」
「ううん!ホンマはこういうの、男がリードするもんなんやろ?それに、めっちゃ気持ち良かった…最後なんが、惜しいくらい…なあ、言うから、もう一回して?」
「何を?」
問う彼女に顔を近づけて、正面から見つめて、藤司はありったけのおもいをこめてか言葉を紡ぐ。
「お前を、愛してる…」
「言ってくれた。…嬉しい…」
そうしてまた深く口づけて、いよいよ…2人にとって最後の夜がやってきた。
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