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 コンコンと、ドアがノックされた。 「どうぞ」  ドアが開き、男が、「おはようございます」と挨拶をする。  彼はここの守衛。俺よりも十ほど年上で、昔は捜査一課にいたこともあるらしい。年相応の表情の中に潜む若き日の面影が、なんとも渋くてカッコいい。  そんな彼の後ろには、本日一人目の泥棒が連れられている。 「失礼します」そう言って椅子に腰掛けた女性は、落ち着いている。この部屋に来るときは皆、罪を認めた後であるため、ほとんどの泥棒が非常にリラックスしているのだ。    守衛がゆっくり部屋から出て行き、二人きりになる。 「田城美枝子さん、四十三歳でお間違いありませんね?」 「はい、間違いありません」 「何度も聞かれているでしょうが、何を盗んだんですか?」 「……学習塾のテストの問題です、子どもの」 「はい、そうみたいですね」  本来ならばこれで俺の仕事は終わり。だが、ここからが俺の楽しい時間、本題の始まり。 「田城さん、ここからは、事情聴取でも何でもない、ただの雑談の時間なので、リラックスして頂いて大丈夫なんですが」そう前置きしてから、「田城さんが、泥棒になった理由を遡らせてください」と、彼女に語りかける。 「はい?」  彼女は、よく分らないと言った表情でこちらを見ている。これもいつものことだ。だから俺も、「いや、時間が余っているのでね。泥棒になった本当の理由を、毎回皆さんに聞いているんです」といつも通りに答える。  すると、「まあ、別にいいですけど。無言よりは」そう彼女は答えた。  一応立場としては上になる俺でさえ、無言で二人きりは嫌なのだ。捕まっている彼女らも気まずいに決まっている。  双方の思いが一致していることを確認し、俺は話し始める。 「ではまず、何で学習塾のテスト問題を盗んだ、つまり泥棒をしたんですか?」 「子どもにいい点を取らせるためです」 「なるほど、そんなにまでしてなぜ、点数を取らせたくなったんですか?」 「ああ、なるほど、こうなっていくんですね」  彼女は納得したように少し笑顔になった。しかし、すぐにやや怒りを滲ませた声で「うちの子どもの、成績が優秀だって噂が立ったからです」と答えた。 この辺りから毎回、泥棒一人一人のキャラクターや人生がかなり色濃く出てくる。 「ほう、なるほど、後には引けなくなったと。ではなぜそんな噂が立ったんですか?」 「私がそう言って回ったからです」 「すげえ」  このようにひとつひとつ遡っていく。田城さんは、順を追ってことの流れを説明してくれた。話始めてから二十分が経った。この時点で、中学生の記憶まで遡った。これは相当長めの方、そろそろラストスパートだ。 「では、なぜ、そんなに必死になってまでカセットを集めることになったんです?」 「あ~それは、たしか……ゲームのカセット四百個持ってると嘘をついたからです」 「はい!来た!」 「はい?」 「やっぱり、皆、最初は嘘をついたから始まるんだ!」  そう、俺は、1つの法則を発見してしまった。  泥棒になった人間は必ず、何かしらの嘘をついていたのだ。すなわち諺の、“嘘つきは泥棒の始まり”は真実。これを発見したとき、俺は猛烈に感動し、少しだけ怖くなった。そして、実証したくなったのだ。俺は、残りの人生をかけてこの説を立証したいと思っている。そして、そのために毎日毎日、サンプル集めに勤しんでいるのだ。  ちなみに、田城美枝子は、嘘に嘘が重なった典型的な、本来の諺の意味通りの、嘘つきは泥棒の始まりタイプだ。    コンコンと、再びノックの音。守衛が終わりの時間を知らせに来た。 「ありがとうございました」と俺が言うと、彼女は「これでよかったんですかね?」と首を傾げながら、部屋を出て行った。守衛が優しく「いいと思いますよ」と微笑んでいる。もちろんこれでいい。  俺は今日、これをあと三回繰り返す。 【田城美枝子の場合: 嘘をつく、「ゲームのカセット四百個持ってる」と嘘をつく →友達に見せろと言われる →必死になって中古のものを集める →なんとかなる →嘘をついてもその後カバーすればいいという考えになる →嘘をつく癖がつく →何度も危ない目に遭う →なんとか切り抜ける →結婚し子どもが産まれる →平和な家庭を築く →ママ友が出来る →話を合わせようと、必死になり子どもの成績の嘘をつく →子どもが成績優秀だという噂が立つ →他の家の子どもよりもいい点数を取るための策を練る →塾のテスト問題を盗む →泥棒になる】
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