物忘レハ 記憶盗難ノ始マリ

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 多聞の問いも空しく、それ以上は何も答えるつもりがないのか、吉乃と呼ばれる女性は踵を返してさっさと歩き出す。仕方なく彼女の後に続くが、気になって一度背後を振り返ったけれど、先ほどの少女の姿はすでに消えていた。  暫く歩くとJR新宿駅の南口が見え、その奥にいくつも改札が並んでいる。その一番右端脇に、七三分けで眼鏡をかけた黒スーツの中年男性が立っていた。吉乃は彼の前で立ち止まると、彼に何事かを耳打ちして多聞の方を振り返る。  眼鏡の男性は口角をぐっと上げ、 「多聞さん、やっと会えましたね。本日は遅れてすみませんでした。三善(みよし)と申します」 と言って多聞に右手を差し出した。  やっとと言われても何がやっとなのかわからないし、三善という名前にも全く訊き覚えが無いのだが、多聞はとりあえずおずおずとその手に応える。 「あの……どうして僕の名を?」 「あぁ、その状態ではしょうがないですよね。では、ちょいと失礼」  そう言うや否や、三善は右手の人差し指と中指を口元に立て、小さな声で呪文のようなものを早口で唱えた。そして左手の中指を勢い良く多聞の右耳に差し込む。多聞が思わず「ふげ!?」と変な声を漏らすと、お構いなしにぐいぐいとその指をねじ込み、そしてスッと引き抜いた。  その手は何かを掴んでいるような素振りだが、多聞にはその何かは見えない。三善は掴んでいる何かを、横に立つ吉乃の両掌の上に乗せた。 「ご気分はどうですか?」 「どうですかって、今貴方が僕の耳に指を突っ込んで……」 「スッキリしません?」  そう言われてみれば、と多聞は今まで何だか頭がぼんやりしていたことに気づいた。何かを思い出そうとするとモヤがかかったように思考が鈍ったが、今はそんなこともなく、すんなりと今朝の朝食も思い出せる。 「あれ? 僕は一体……」 「多聞さん今、異形に記憶を盗まれてましたよ」 「異形!? ってことはもしかして貴方……」  眼鏡の男性はニッコリと微笑み、改めてジャケットの内ポケットから名刺入れを取り出して、その中の一枚を多聞に差し出す。そこには『幸徳明水事務所 陰陽師 三善忠行(ただゆき)』と書いてあった。 「貴方が三善さんですか。それではそちらの女性と先ほどの少女は……」 「ええ、私の式神です。ちなみに私の式神は全部で三体おりまして、先ほどからずっと多聞さんの左肩に一体乗ってますよ」 「え!?」  そう言われて咄嗟に左肩を見るが、やはりそこには何も見えない。急にバサバサと飛び立つ羽音がして、三善の人差し指の上へ何者かが移動した。
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