来い、夏

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来い、夏

──わたしね、引っ越すんだ。 数秒前のセリフが、もう一度脳内で再生された。 ……嘘? あまりにも突然のことで、まったく頭がついていかない。 頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けて、視界まで暗くなる。 俺と、隣にいる夏奈(かな)はいわゆる幼なじみというやつだ。 母親同士が幼なじみで仲が良く、いまも家が隣で、誕生日は同じ。 それだけで、運命を感じるには十分だった。 ここまでそろっていたら、さすがに運命だろう。 だから、というわけではないけど、俺は夏奈のことを特別に思っている。 兄妹みたいに育ってきて、これからもずっと一緒にいるんだろうなと、漠然に感じていた。 なのに、そんな夏奈と離れることなんてありえない。 ありえないから、少しも考えたことはなかった。 「……学校は?」 「転校するよ。県外だし」 俺の絞り出した声に対して、いつも通りの変わらない声で返される。 その声が、俺の気持ちを変に刺激する。 モヤモヤ、チクチク、ムカムカ。 どんな気持ちなのかはわからない。 言葉では表せられない複雑な感情が湧き上がってくる。気持ち悪い。言語化できないマイナスな気持ちなんて、この世から消えればいいのに。 初めて感じるよくわからない感情に、どうすればいいのかわからない。 今までこんな状況になることはなかったから。 夏奈がいれば、一生知ることはなかったはずだから。 「………知らなかった」 いろいろ考えて出たのは、どうでもいいようなこと。 「うん。今言ったもん」 そりゃそうだよな。当然だ。 知らなかったのは、聞いていなかったから。 夏奈が俺に言っていなかったから。 今知ったのは、夏奈が今初めて言ったから。 当たり前のことだ。考えなくてもわかる。 夏奈の笑い交じりだった声から推測して、俺の困惑に気づいているに違いない。 別にそれは気づかれたってどうでもいいけど。 俺が気になるのは、夏奈のほうだ。 気づいた上での夏奈の気持ちがわからない。 夏奈は、こんな俺を見てどう思っているのだろうか。
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