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【その三 あやしの力】
吹雪の中を二人の男が走る。
真夜中の下加治屋町の路地には、当然人の気配はない。それでいて、奇妙な妖気が濃厚に漂っている。
吉之助の背後を追うわたしの目には、この貧しい集落全体が、どくどくしい呪術の赤黒い色に包まれているのがありありと映るのだった。
走る間、正助は行きつく間もないほどの勢いで吉之助に話をしている。
吉之助は重々しく、「うん、うん」と聞いているのだが、いかんせんこの吹雪である。どうにもわたしの耳にまで届かない部分もあり、まどろっこしくなっていた。
(急急如律令)
腹の底で呟く。
きゅうきゅうにょりつりょう、という呪文は陰陽道で用いることがあるが、さして意味はない。「ええい」とか「はやくはやく」という呟きのようなものだ。
うまく聞き取れない事態に苛立ち、わたしは一瞬、誓光寺の奥の間に置き去りにしている、我が肉体に戻ることになる。はっと目を開いた時、目の前には赤々と熾火が闇を彩る火鉢があった。板の間に座すわたしの身体を冷やさないようにという住職の好意である。
「ごう」
と、荒い音を立てて吹雪の風が寺の外を舞っている。
夜更けの寺は静謐な闇に沈んでいる。ぱさ、と、火鉢の灰が崩れる音すら板の間に響くようである。
足を組んで座しながら印を組んで固まっていたわたしの身体は、火鉢のおかげで温もっており、実に滑らかに動く。
即座にわたしは印を組直し、術の呼吸に整えた。意識を下加治屋町を走る西郷吉之助に集中させ、闇の中に念を飛ばした。
ばたばたと雪を蹴散らして走る大きな踝が見える。もっと上の方に視線を向けようとして、がつんという衝撃に行き渡った。
吉之助の隣を走る、正助である。
正助の視線が吉之助に向けられた瞬間、わたしの技が弾かれたのだ。
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